属性
属性(attributum)についても、ここで説明をしておこう。これも、デカルトから引き継いだ言葉の一つだ。
この言葉の意味を理解するには、実体の認識過程を理解する必要がある。
様態の共通性質の認識から実体の認識へ
我々が普段囲まれ、意識しているのは個々の様態である。ここから実体の認識に至るのは、個々の様態が持つ、共通性質を認識することによってである。
自分の部屋にいて、あたりを見渡している状況を想定してみよう。そこでは、椅子、机、時計、本といったものが意識されるだろう。これらはどれも、物体に属するものだと考えるはずだ。なぜなら、これらには、延長、形、運動といった、精神とは異なる性質が備わっているからである。それらはどれも空間内にあり、特定の形を有し、運動をするものである。このような共通性質を見て、物体的実体を認識するわけだ。
次に、椅子に座ってぼんやりと考えている状況を想定しよう。今朝食べたもの、以前読んだ本の内容、友人の顔といったものが頭に浮かんでくるだろう。これらはどれも、精神に属するものだと考えるはずだ。なぜなら、これらはどれも物体とは異なる性質を持つからである。ある観念が空間的な場所を占めることも、形を有することも、運動することもない。ここから、物体的実体とは異なる実体、すなわち精神的実体を認識するわけだ1。
このように、様態には共通性質が備わっており、それによって「これは物体に属する」「これは精神に属する」と区分することができる2。この共通性質を、デカルトは属性と呼ぶ3。
主要な属性
この属性には、主要なものがある。それが延長と思考だ。例えば、形や運動のない物体的実体を考えることは、可能かもしれない。だが、延長のない物体的実体については、考えることができないだろう。延長は物体的実体の本質を構成しており、切り離すことができないのである。
これは精神についても同様である。個々の観念や意志は、一つの思考の内にあるものとして現れる。この思考は、精神的実体の本質を構成するものであり、そこから切り離すことができない4。
スピノザによる定義
スピノザは、デカルトによる属性の定義を引き継いでいる。
属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。(定義四)
基本的に、『エチカ』で属性という言葉が使われる場合、延長と思考という二つの主要な属性を指すと考えていい。ただ、定理九のように、より広い意味での属性を指す箇所も存在するので注意が必要だ。
-
とは言え、実体が存在するものだということだけでは、我々を触発しないから、それだけで実体が最初から知られるわけではない。そうではなくして、無にはいかなる属性や性質や質もないという、かの公理によって、我々は実体をば、その何らかの属性から容易に認識するのである。(『哲学原理』第一部52節) ↩
-
知、意欲および一切の知的ならびに意志的様態は思考実体に属し、延長実体には大きさ、即ち長さと幅と深さある延長・形・運動・位置・諸部分の可分性等が属する。(『哲学原理』第一部48節) ↩
-
かようにして我々は、もしも思考のあらゆる属性を、延長の諸属性からはっきり区別するならば、一つは被造思考実体について他は延長的実体についての、二つの明晰判明な概念、もしくは観念を容易に有つことができる。(『哲学原理』第一部54節) ↩
-
なるほど実体は、どの属性からも認識されるのであるが、しかしおのおのの実体には一つの主なる性質があって、これがその実体の本性および本質を構成し、他のすべての属性はこれに帰着せしめられるようになっている。即ち、長さ幅および深さある延長は、物体的実体の本性を構成し、思考は思考実体の本性を構成する。というのは、物体に認められる他の一切のものは延長を前提にし、延長しているものの或る様態であるにすぎないし、同様に、精神のうちに見出される一切のことは、さまざまな思考の様態にすぎないからである。(『哲学原理』第一部53節) ↩