想定されている国家の規模

ルソーが想定している国家は、現在のような国民国家よりも規模の小さいものである。ルソーは立法(文章化された法律のない国家に向けて起草するという意味)が可能な国家の条件として、共通利害を持ち、たがいに顔見知りで、他の構成員に負担を押し付けたりしない人々であること、を挙げている。また、国家を維持するには人民集会が必要であるとして、人民集会を毎週のように開いた古代ローマの例を挙げている。また、素朴に治められている国家の民衆の例としてジュネーブやベルンの名前をあげ、そうでない例としてロンドンやパリをあげている。人口が数万~数十万の規模の国家を想定しているようだ。
では、ルソーの主張では現在の日本やアメリカといった国家はどのように説明されるのか、現在の国家の分析には役に立たないのか、という話になるかもしれない。このような国家は、腐敗した国家のカテゴリーに入れられる。詳細は後述するが、国家は年月が経過すると腐敗して形骸化し、一つの国家のうちに利害が異なる複数の国家ができることになる。そこでも一般意志は存在するが、それはもはや、一部の者が他の構成員を都合のいいように動かす道具でしかない。社会秩序の維持を騙って人々を抑圧するように。
一般意志、立法、執行の箇所は、腐敗する前のいわば理想的な国家を分析しているわけだ。この過程にプラスして腐敗過程を考察することで、現在我々が見ている国家の本質が分かる、という構成になっているのである。
また、もっと小規模な国家においてどう振る舞うべきか、という観点であれば、理想的な国家について語っている箇所の内容は直接役に立つだろう。ルソーは、国家を構成する人口の最低規模については挙げていないが、一つの判断のもとに複数の構成員が労力を提供する、という定義であれば、それが二人であっても成り立つと思われる。共通利害を有する数人~数十人の規模の組織に関わること、そこにおいて個々人の対立が生じることは、大抵の人が経験することではないだろうか。そこにおいて、ルソーが語っている内容には応用できるものがあると思われる。

それでは立法に適した人民はどのような特性をそなえているだろうか。それは起源が同じであったり、利害が同じであったり、約束によって結びついていたりするために、すでにある種の結びつきをもっていて、まだ真の法による軛のもとにない人民である。根強い慣習も迷信ももっていない人民である。隣国から急に侵略されても潰れてしまうことがなく、隣国間の争いに巻き込まれることがなく、一つ一つの隣国からの侵略には独力で抵抗することができ、自国が侵略された場合には、他国の援助をうけることができ、他国が侵略された場合には援助することのできる人民である。すべての構成員がたがいに顔見知りになることができ、一人の人間として担い難いような負担を、どの構成員にも強制する必要のない人民である。ほかのどの国にも依存せず、ほかのどの国からも依存されない人民である。富裕でも貧困でもなく、自給自足できる人民である。最後に、古代の人民の堅固さと近代の人民の従順さを兼ねそなえた人民である。(2-3)

主権者は立法権のほかにはいかなる力も所有していないので、法によってしか行動できない。そして法とは、一般意志の真正な行為にほかならないので、主権者は人民が集会を開いているときしか行動できない。人民の集会! とんでもない妄想だと言うかもしれない。今日ではそれは妄想であるが、二千年前にはそれは妄想などではなかったのである。それでは人間の本性が変わったとでもいうのだろうか。
精神的な事柄において何が可能で、何が不可能であるかを決める境界は、わたしたちが思うほどに狭いものではない。この限界を狭くしているのは、わたしたちの弱さであり、悪徳であり、偏見である。下劣な人間は、偉大な人間が存在することを決して信じようとしない。卑屈な奴隷は、自由という語を耳にすると、嘲笑するような笑みを浮かべるものだ。
これまで行われてきたことに基づいて、これから何をなしうるかを考えてみよう。古代ギリシアの共和国については語るまい。ローマ共和国は偉大な国家だったし、ローマという都市は大都会だったと思う。最後の住民調査によると、ローマには四十万人の武装可能な市民が居住していたという。またローマ帝国の最後の人口統計によると、属領民、外国人、女性、子供、奴隷を除いて、帝国には四百万人以上の市民が数えられている。
この首都とその周囲の地区に住む膨大な数の人民がたびたび集まるなど、どれほど困難だったことだろうと、人は想像するに違いない。しかしローマの人民が集会を開かずにすませた週はほとんどなかったし、週に数回の集会を開いたこともある。ローマの人民は主権者としての権力だけでなく、政府の権利の一部も行使していた。彼らはある種の公務を処理していたし、訴訟事件を裁く役割もはたしていた。そしてこの人民は、市民として集会を開くのとほぼ同じ頻度で、行政官として公共の広場に集まっていたのである。
さまざまな国の初期の時代に溯ってみると、マケドニアやフランク族のような君主政の国でも、古代の政府の多くで、同じような会議が開かれていたことが分かる。いずれにしても[ローマの人民集会という]一つの疑問の余地のない事実だけでも、すべての難問にたいする答えとなるのである。この[集会が存在したという]事実から、[今でも集会を開催できるという]可能性へと議論を進めてゆくのは、正しいことだと思われる。(3-12)

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