属性間の秩序と連結の一致について
では、これまでの議論を踏まえた上で、観念の秩序と連結が、なぜ物体の秩序と連結と一致するかについて考察してみよう。
現実に存在する観念がどのようなものになるかは、その時の自然全体の状況で決まる。
現実に存在しない観念は、
- 人間身体が過去に何と接触したか
- そのうちの何が身体に記憶として刻まれているか
- 現時点でどの外的な物体と接触しているか
によって決まる。例えば馬を見た時、そこからなにを連想するかは、過去に馬と同時に何を見たか、それが記憶として身体に刻まれているかどうかで決まるわけだ。現実に存在しない観念であっても、自然全体の秩序および連結に従って生じるのである。眼前にある外部の物体によって刺激を受けているにせよ、身体の記憶を想起しているにせよ、その時点で人間身体が変状し、その観念が生じているという点では同じなのだ。
だが、観念がいかにして生じるかは、一般的には知られていない。それに、過去に経験したことを忘れている場合も多い。このような理由で、あたかも我を原因として、観念が生じるかのように思うわけだ。そして、物体の秩序と連結とは異なる、観念の秩序と連結があると考えてしまうわけである。