Pile of Index Cards(PoIC)

梅棹の京大式カードの次の段階に来るのが、PoICである。

wiki形式になっており、梅棹以降の理論や、考案者の実際の試行錯誤に基づく修正などが盛り込まれており、非常にレベルが高い。梅棹は方法論としてはそれほど詳しくは書いてないので、実際にカードを使ってみたいなら、梅棹でだいたい思想をつかんで、このサイトをみてやり方を学ぶ、というようにするといいとおもう。

タスクフォース

その中で最も重要な過程の一つに、タスクフォースがある。

それは、ためたカードを元に再生産をするプロセスである。広い場所を用意し、そこにカードを並べていく。そして、カード同士を見比べ、似た内容のカード同士を束ねてグループ分けし、グループの内容を記した付箋を貼る。このカードの束を元にして文書を作る。

文書に内容を反映した束は、お役御免として、カードボックスとは別の場所にしまう。そして、カードボックスには、使わなかったカードだけを戻す。こうして、カードボックスからは利用したカードが消え、カードボックスの中身は、タスクフォース前よりも秩序だったものになる。

タスクフォースの画期性

ポイントは以下の二点である。

  1. 再生産の過程を組み込んだこと
  2. カードボックス内の秩序を一定に保つ方法論を提示したこと

これは、梅棹忠夫の京大式カードと似たような方法に見えるかもしれないが、実は思想的に逆を行くものである。梅棹の場合、築くのはデータベースである。カードがたまればたまるだけ、システムの有用度は高まるというのが根本思想なのだ。それゆえ、「利用したカードを取り除く」といった、データベースを破壊する操作は原理的にできない。たとえカードを活用したとしても、それは必ずあとで元の位置に戻すのである。梅棹の思想では、カードによる知的生産がうまく機能しないとしたら、それはカードの枚数が足りないからだ、というように総括されるわけだ。

PoICは、京大式カードの限界点を、「アイデアから再生産する過程」を意識的に作り出さなかったことに求めている。カードの死蔵が起こるのは、時間が経過しカードが増えることによって、カードボックスがカオスになるからだ。そこで、カードを比較し、束ね、廃棄する、というタスクフォースの過程を組み込むことで、カードボックス内の秩序を一定にしようとしている。この点で梅棹の方法論とは別物であり、思想的な飛躍が存在するわけである。

時系列でカードを蓄積していくと、自然の法則に従って、システムの中のエントロピー(情報の乱雑さ)は一方的に増えていきます。分類しない時系列では、なおさらです。このままでは、PoICは破綻しそうにも思えます。私自身、カードが増えるにしたがって、このまま行ったらどうなるのだろうか、と心配になったことがありました。
この自然の法則に逆らってエントロピーを減らそうとする場合、人間の「努力」が必要になります。図書館や博物館では、「つねに分類する努力」によってこれを実現しています。そのために、これらの公共施設では高いコスト(人件費、時間)を払っています。しかし、前述のように、PoICでは積極的に(?)検索・分類しません。では、どのようにしてシステムの破綻を防ぐのでしょうか。
答えは簡単で、やはり検索・分類するのです。従来の方法と違うのは、これが一番最後に来ることです。PoICにおいて、カードを書くのは、個人の知識のデータベースを構築することです。しかし、これはまだ準備段階です。PoICの本当の目標は、このシステムを使って、新しい知恵・知識・成果を再生産することです。そうして初めて “Get things Done!” となります。(PoIC - 時系列スタック法)

タスクフォースの限界

私は梅棹の京大式カードで挫折したあと、PoICに影響されて、タスクフォースの過程を取り入れた。だが、それでもやはり、死蔵という問題は解消されなかった。カードという物理的特性がネックになるからだ。

タスクフォースを実行するには、まず、広い場所を用意しなければならない。気楽に机の上でやることはできない。少なくとも畳数枚程度の広さが必要になる。また、この作業は一度に行わなければならない。そうそう何度もカードをすべて調べて並び替えることはできないし、時間が経過すると、どのカード同士が同じ内容なのかの判別もできなくなってしまう。カードがたまるにつれて、負担が増大することになるのだ。

再生産が必要だ、というPoICの発想は正しいかもしれない。だがそれは、カードを用いるという前提自体が壁になることで、行き詰まるのである。ここに、それを乗り越えるものとして、PCを用いる方法が要請されることになる。

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