データベースからバッファーへ

野口悠紀雄のバッファー理論

PCに特有の機能を使っても、問題は解決しなかった。いくらメモをためたとしても、それを有効に使う方法はない。データはやはり死蔵してしまったのだ。既存のツールを使うだけではだめだ。知的生産を実現するためには、この状況を突破する必要がある。

その突破のきっかけになったのが、野口のバッファー理論だった。これは、野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』において出てくる理論である。

知的生産活動で扱うデータは、決まりきった仕方では処理できない、という特性を持っている。それは、最初はどのカテゴリーに入るかも不明で、重要度も分からない。それを扱う方法に先例もモデルも無い場合が大半だ。このような性質を持つデータに対しては、処理が確立されている、定型的な仕事でとられてきた方法は使えない。今までとは異なる発想に基づく処理システムを用意し、そこで処理をすべきである。野口はこのような考え方をする。

まず、対象がフロー(流れ)であることを明確に意識する必要がある。必要とされるのは、膨大な量のフローを制御するダイナミック(動的)な方法である。一定量のストック(蓄積)を管理するスタティック(静的)な対処法ではない。
これは自明のことである。しかし、従来の収納システムは、「内容がほぼ変わらないストックのための管理」のためのものだ。「大量のものが流入し、ストックの内容が短期間のうちに入れ替わってしまう」という認識は、殆どないのである。(野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』P21)

ではどうするか。それには、「とりあえずおいておく場所(バッファー)」を用意し、そこに分類せずにデータを入れればよい。ある程度の時間がたてば、そこに放り込まれたデータは自然に醸成し、区分も判明になるだろう。そのときになってはじめてそのデータを取り出し、分類して、処理をすればいい。

マゼラン的な仕事を扱うには、マニュアル遵守的な仕事とは異なる発想にもとづいて、処理システムを構築する必要がある。
とくに重要なのは、「バッファー」(buffer)だ。これは、「緩衝器」、つまり二つのもの、あるいは二つのプロセスの中間にあって、衝撃を受け止めるための装置である。
まず、外から入ってきたものや新しく作ったものを、簡単な手続きによって(できれば、殆ど手間をかけずに)、システムの中に受け入れる必要がある。整然とした収納でなくともよい。しかし、書類が紛失したり迷子になったりすることはないようにする。つまり、「とりあえず受け入れる」のである。これが、「受け入れバッファー」だ。
そして、不要と思われるものを必要なものから区分し、所要の措置や加工などを行い、次の段階に送る。
この際、確立された処理法はないのだから、本当に正しい処理をしたかどうかは分からない。やり直す必要があるかもしれない。そのため、完全でなくともよいから、一応の措置をする。一〇〇%処理を目論んで何もしないのではなく、とにかく一歩進める。「ゼロか完璧か」でなく、八割の処理をするのだ。これは、単なる先送りとは違う。「もっとも重要と思われること」は、行っておくのである。
そして、「多分必要ないだろう」と思われるものを、日常の仕事のジャマにならないようなところに置く。つまり「とりあえず捨てておく」のである。これが、「廃棄バッファー」だ。(野口悠紀雄『「超」整理法〈3〉』p41)

バッファーによる解決

アイデアメモが使えなくなったのは、メモが処理しきれなくなるほどたまり、古いデータがノイズになって、全体が機能しなくなったからである。そこで、発想を転換する。アイデアメモをためる場所は、データベースではなく、バッファーだ。そこに入れたデータは、一時的に保存されているだけである。時間が経過して、それらのアイデアメモがどのような問題意識によって書かれたものかが判然としたなら、それらをまとめて別の場所に移動し、その上で知的生産作業を行う。分類は、後でするのだ。

  1. 最初は区分せず、とりあえず入れる場所を用意してなんでもそこに放り込んでいく
  2. 半自動的にそれが保てるシステムを構築する

この二点を実現すれば、不定型なデータの処理が可能になる。

今までアイデアメモをうまく活用できなかったのは、データベースの規模の問題でもなければ、データベースの運用方法に通じていないからでもない。前提としていた、データベースを作る、という発想からして既に間違っていたのだ。個々のものの重要性がはじめからわかっており、カテゴライズがすでになされているようなものであれば、データベースを築くことは有効である。それは、規模を増せばそれだけ、有用度を増すだろう。だが、アイデアのような不完全なデータを大量にためても、無意味なのである。それをもとにしてデータベースを築いたとしても、アイデアは個々バラバラのスピードで陳腐化していく。結果、データベースはカオス化し使いものにならなくなる。この問題は、データベースから有用なデータを抜き取る機能をいくら追求したとしても、決して解消されないだろう。それよりは、バッファーが半自動的に洗練され、不要なものが削ぎ落とされ、常に自身にとって有益な情報がある状態を保ち続けることのほうが、重要なのである。

このことに気づいていなかったから、PC上でアイデアメモを管理する試みは失敗していたのである。そこでは、どうしてもデータベースを否定するような発想、例えば「過去のデータを編集する」「不要なデータを消す」「不可逆的な仕方で特定のグループに分類する」といったことができなかった。そして、アイデアメモを有効活用するための試みも、タグ付けといった表層的な操作に限定されていた。我々は、既存の思考に縛られすぎていたのだ。ノートを捨ててカードを使い出した時のように、データベースを捨て、バッファーを中心とした方法を構築する必要がある。

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