プラトン『クリトン』

概要

プラトンの著作は、どれもソクラテスが誰かと対話する形式になっている。そして、その対話相手の名前がタイトルになっている。ゴルギアスであればソクラテスとゴルギアスとの対話、という具合。今回はクリトンとソクラテスが対話しているから題名がクリトンになっている。

この本の主題は、国家が死ねと命じるときには、死ぬべきかどうか、という問題。それに対して、ソクラテスは死ぬべきだという立場。それを理論的に、脱獄をすすめにきたクリトンに説明する、という形。

本論

ソクラテスがこれまでずっと従ってきた原理は、どんな場合でも不正を行なってはならない、というもの。これに対し、脱獄は不正に対して不正で返すということであり、それは自分のこれまでの生き方に反している、だからやらないというのが本筋。

ではなぜ脱獄が不正かというと、それが国家が下した命令を否定することであり、下された命令に背く者がいるということは、国家の基盤を揺るがすことだから。

どうぞ、ソクラテス、言っておくれ。おまえは何をするつもりなのだ?そのおまえがやりかけている所業というものは、わたしたち国法と国家公共体全体を、おまえの勝手で、一方的に破壊しようともくろんでいることになりはしないかね?それともおまえは、一国のうちにあって、いったん定められた判決が、すこしも効力をもたないで、個人の勝手によって無効にされ、めちゃくちゃにされるとしたならば、その国家は、転覆を免れて依然として存立することができると、おまえは思っているのか。

国家が下した命令には構成員全員が従う、ということを前提にして国家は成り立っている。そして、そのようにして成立している国家によって、生まれること、育てられること、教育を受けること等の恩恵を受けてきた。ならば、国家が何かを命じたときには、それが直接的に自己にとって不利であっても、その決定に従わなければならない。いざという場合には国家の命令に服する、ということを条件として、自分はそれまでその国家によって生存し、恩恵を受けてきたからである。それに背くのならば、それは国家の根幹を攻撃するのと同じことである。だから自分は国家の命令を受け入れ、死刑を受け入れる、という理論。

しかし、おまえたちのうちで、わたしたちがどのような仕方で裁判をし、その他の点でも、どのように国政を運営しているかを見て、ここにとどまる人があるならば、その人はすでに、これからはわたしたちの命ずることはなんでもするということを、行動によって、わたしたちに向かって同意したのであると、わたしたちは主張する。

そして、これに服従しない者は、三重の不正をおかしているのだと、主張する。すなわち、生みの親であるわたしたちに服従しない点がそれであり、育ての親たるわたしたちに服従しない点もそれである。そのうえ、わたしたちに服従することを約束しておきながら服従もしないし、また、わたしたちのしていることに、なにか善くない点があるなら、そのことをわたしたちに説き聞かせることもしないからである。

すなわち、わたしたちは、わたしたちの命ずることは何でもこれをなせと、乱暴な仕方で指令しているのではなくて、これを提示して、わたしたちを説得するか、そうでなければ、これをなせと、選択の余地を残して言っているのに、そのどちらもしていないからである。

特徴とか

国家と国法がソクラテス自身に語りかける、という形で書いているのが特徴。言っている内容自体はルソーと同じなのだが、ルソーが一般意志という概念で説明しているのよりもわかりやすい。

ソクラテスの死をあつかった著作には、他にパイドンがある。順序で言うと、3月の終わりに死刑判決(『ソクラテスの弁明』)が出て、4月24日にクリトンが脱獄をすすめにきて、国家論の観点から脱獄しない理由を語り(『クリトン』)、4月27日の執行当日の朝に脱獄をすすめにきたのにたいし、哲学者が死をおそれるのはあやまっている、ということをとく(『パイドン』)。パイドンでは、死というのがただそのあとに何があるか知らないから恐れているだけだとか、死んだ後の世界を語るだとかをしている。というわけで、クリトンとは少し主題が異なっているのだ。

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