ハンナ・アーレント『革命について』

略歴

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の哲学者、思想家。主に政治哲学、政治思想の分野で活躍した。

大枠

テーマは大きく分けて三つある。

  • アメリカ革命とフランス革命の分析
  • ルソー批判
  • アメリカのあるべき姿についての提言

アーレントの立場

権威の創設が一番重要である、というのがアーレントの主張。
各人が私的な利益を追求するためには、各人を縛る枠組みというものが必要である。その制限内で、各自が自由に行動する、というシステム。そしてそのシステム自体は、ずっと維持され、変化しないことが望ましい。それが、政治においてなし得る唯一の課題である。

だが、一方で別に政治的に取り組むべきだとされている課題がある。社会問題。貧困に関するもの。貧困の原因が社会システムにあるという想定のもと、それに対して攻撃をするもの。これは、そもそも政治的に解決できないものを政治的に解消しようとしているものであり、ナンセンスだ。

アメリカ革命とフランス革命の分析

アーレントによれば、革命には二つの意味がある。

  • 一つが共和制の創設。その枠組み内で、各人が自由を行使するような枠組みを作り出す行為。
  • もうひとつが社会問題を暴力的に解決しようという運動。社会問題は社会システムにあるという想定のもと、それを暴力によって否定しようというもの。

現状、革命という言葉で意味されているのは主に後者であり、影響力を持っているのも後者。そして前者の意味についてはないがしろにされている。この前者こそ、革命の本来の意義だということを示そうというのが『革命について』の目的。
これを示すため、両者の典型としての、アメリカ革命とフランス革命を取り上げる。アメリカ革命は、権威を創設したために重要だ。だが、フランス革命のほうのみ取り上げられていて、アメリカ革命の重要性が意識されていない。だから、これを再評価させたい。このような動機のもと、アメリカ革命とフランス革命それぞれについての分析がこの本のテーマその1。
フランス革命は、このような観点から言えば、権威を作ることもなく、個々人の自由を脅かす恐怖政治を行った価値の低いものだ。このフランス革命を、自由を抑圧する運動の典型としてあげ、分析している。それは、権威を作り出すことを目的としなかった。代わりに、貧困問題を解決するということを図った。それは、富裕層への暴力、テロという自由を脅かす形を取ることになった。

逆に、アメリカ革命は、従来は評価されてこなかったけれども、確固たる権威を作ったという点で評価すべきものだということになる。それは、個々人の自由を維持する枠組み、権威を作り出す過程だった。

やっている議論

その一覧。

  • 革命自体は近代に出てきた概念。それ以前は、支配者層内で交代するという意味しかなかった。蜂起も自分たちが支配者層になろうとするものではなかった
  • 革命という語の語源的分析。元々は天文学の語を比喩として使ってた。復興、必然性と徐々に意味を変えていったらしい。
  • マルクスの理論の根底には必然性がある
  • 革命家は、フランスでもアメリカでも自由の創設に向かってたが、フランスでは途中で社会問題の取り組みにかわった
  • アメリカでは実体のある組織的なつながりが基礎にあったから、自由の創設をすることができた。理論に精通してたからという理由ではない。
  • 憲法の持つ意義を革命の成果として評価する。個々人の制限というネガティブな意味だけではなく、各人が政治参加をすることを定めてる、というポジティブな意味を持つ
  • 権威の基礎は何かという話。それは草の根的なつながりから生じるもの。アメリカではそれが実現できたが、ヨーロッパではできなかった。その理由は、ヨーロッパでは伝統的に、超越者が個々人を支配するという思想が支配的だったからである。
  • アメリカの知識人は、ヨーロッパの伝統ではなく、それ以前のローマにあこがれを抱いていた。それが、超越的なつながりではないつながりを持ってた時代だったから。
  • モンテスキューも法律をローマ的な意味で用いていた
  • 権力は分散することによって逆に強まるものである。アメリカの三権分立がその例

などなど。じゃあ具体的にこれらがなにの証明になってるのか、これのどこがアメリカ革命の評価が上がったりフランス革命の評価が下がったりする根拠になるのかという話が例会で出たけどなってなさそうですね。あまり構成だって何かを証明しようとはしてなさそう。調べてきたことを適当に並べてそれっぽい引用加えたら論文になるんじゃねとアーレントが思ってるふしがある。

フランス革命というのは、キリスト教的な世界観である、超越的な絶対者という思想のもとになされたものに過ぎず、アメリカ革命は、それとは異なる社会基盤、自治組織を元にしていたからできたという分析だとか、それゆえ、アメリカ革命の人々は、キリスト教以前のローマの政治を参考にしていただとかいう当たりは少し面白いので読んでもいいかもしれない。

ルソー批判

この本のテーマその2に、ルソー批判がある。フランス革命の理論的支柱としてルソーをとらえ、ロベスピエールなどが行ったテロその他の行為が、ただ彼らの人間性ではなくルソー理論にその根拠がある、ということを示そうとする。

アーレントのルソー解釈

一般意志批判

その一つが一般意志批判。アーレントによれば、一般意志というのは、バラバラの状態にある個々人をまとめあげるために導入されたもので、絶対者だとか神だとか言ったものと大差ない、という批判をしている。
そして、その一般意思批判の本質は、第三者として敵を見出すことであり、それは、内面において個々人が私的な利益を追求する行為を敵視することで、団結することだった、という批判。滅私奉公して、国家のために尽くすというイメージになるだろうか。

自然状態の賛美批判

自然状態を理想化し、自然状態の人間を無垢なものとしてみている。そしてそれが貧民に依拠する社会運動にのめり込む原因になったという批判。
フランス革命は、権威の創設ではなく、貧困の解消という側面を持っている。これは、自然状態の人々、すなわち貧困層という、組織化されていないバラバラの人たちが起こした暴力だ、というように整理できる。つまり、自然状態の理想化が、このような人々に依拠する運動の根拠になったのではないか、という分析。

同情

ルソーが同情を重視していたことについての批判。これは、他人のうちに入り込んで自己を無にすることであり、これを突き詰めることで非人間的な暴力をふるう行為に行き着くという批判。ロベスピエールが行ったテロの理由を、ルソーの同情に求めるという構造になっている。

アーレント解釈の妥当性について

今回アーレントを読んだのは、この本でアーレントがルソー批判をしてるらしいからそれがどんなものか知りたい、という目的からだった。実際に読んでみた感想だが、批判としてそれほど妥当なものでもないし読み込んだ上で何か述べてるわけでもなさそうだなというのが思ったこと。

社会契約論では、一般意志は、国家が存在するなら必ずそこには共通利害という一致点が存在する、ということを証明する文脈で出てくる。新たにバラバラの個々人を結合する原理を見つけよう、という文脈では出てこない。個々人の私的利益の追求を敵視してまとまろうという話も出てこない。

自然状態の賛美というのもルソーの理論では出てこない。「自然に帰れ」というよくあるキャッチフレーズだけ聞いたらそういうイメージ持つかもしれないけれどね、という感じ。

同情について。そもそも社会契約論で出てこないものを原理とみなして批判するのはどうなんだろうというのがまずある(『人間不平等起源論』で出てくる)。
同情の概念自体は、ホッブズ的な「万民の万民に対する闘争状態」というのが想定としておかしい、そもそもそこら辺の部族とかでも動物がいきなり出会い頭に戦争状態になるとかおかしいだろ、社会化される前の人間が持っている情念は、自分の利益を追求することと同種族への同情心だけだ、という文脈で出てくる。同情にのめり込む云々という話は出てこない。ロベスピエールが同情にのめり込んだことを批判するというのはできるのかもしれないが、ルソー批判に持ってくのは無理がある。

アメリカのあるべき姿についての提言

テーマその3として、あるべき社会の姿への提言がある。
アメリカ革命は成功したが、それはその革命精神を引き継ぐことには失敗した、というのがアーレントの立場。現状の政体には満足していない。権威が永続的であるためには、もっと改善すべきことがあるというように考える。
アーレントが理想とするのは、パリ・コミューンだとかソビエトだとかアメリカ革命時に存在していた共同体だとかのような自治組織。そういう草の根的なものが政治体の基礎になっているのが望ましい、だがそれが、党派や代議制の影響で抑圧された、という分析。
ここまでの話だと、わりと体制派というか、その体制の枠内で利益得てるやつが現体制を揺るがすな、そんなのは政治的課題じゃねえといってるだけのやつじゃねえかと思ってたがなんかいいことをいってる。

やっている議論

  • アメリカでは上院や司法に革命精神が残っている。
  • 上院は、世論の支配から守るために作られるもの。一致しない意見を純化するための機関
  • 党派と共同体との対立について。ジェファーソン、マルクス、レーニンの分析
  • 共同体内部で代表を選出するというのが理想。その者らは、経済政策においては失敗するかもしれないが、政治においては有能である
  • 連邦政府が相対的にアメリカの各地の集会所の権威を低下させた。議会の内部での折衝が意義を持つことになるから。

思ったこととか

共同体であることが理想だというのは確かにそうだし、古代ローマが理想だとか、政党が害悪だというのはわかったが、じゃあ実践的に何をすればいいのか、という点では不明確だと思った。

また、権威の重視について。これは、それ以外の問題がそもそも存在しない、というのであればそれが最重要になるのだろうが、アーレントはその証明をしていない。貧困問題その他の社会問題は技術的に解決できる。だから、それをのぞいて最重要である、個々人の自由を維持するべきだ、そのための権威を創設するべきだというのは前提が正しければそれはそうだが、じゃあ実際にどうやって技術的に解決できるのか言ってみろよとしかならない。だから、単に貧困問題その他を犠牲にして権威を維持しろと、体制側の人間が安全圏で言ってるだけの都合のいい恫喝に見える。

例会では、明治維新もアーレントのいう権威の創設に含まれそうだなとか、階級理論とか認めてなさそうだけどそれについて同時代の人と何か議論残したりしてないだろうかだとか、革命起こしても結局社会問題解決しなくて新たに何かをしてるように見えるしアーレントがこういいたくなるのもわかるだとか、ハイデガーの影響とか否定神学っぽいのが見えるだとか、権威を重視するのと共同体を重視するのとは矛盾してないかだとか、そういう意見が出た。

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