ルソー『社会契約論』第二編
第二編概説
立法の必要性
第二編は立法に関して。
政治体を結成したとしても、それで終わるわけではない。その目的を達成するためには、内部で取り決めをして、具体的に行動していく必要がある。全人民が全人民に関する取り決めをするのが、立法である。
社会契約によって、われわれは、存在と生命とを政治体に与えた。いまや立法によって、それに運動と意志とを与えることが、問題になる。なぜならば、この政治体をつくり、結合するところの、この最初の行為は、政治体がみずからを保存するためにせねばならぬ事がらについては、まだ何ごとも決定しないからだ。(第六章)
2つの課題
だが、全人民に対する取り決めをするとしても、それをどうやって実現するかが問題になる。
困難の一つ目は、政治体にとって適切な制度を発見する方法である。国家の状態や、人民について理解したうえで、それをどう変化させれば政治体が新たな力を得るかを見通す能力が必要になる。もちろんその力は、まだ誰も目にしたことの無いものだ。共通利害を実現するために必要な力を見出し、それを実現するためには全体でどのような取り決めをすればいいのかを把握すること。かつそれを、全人民に対して一致させるという長期的な取り組みに耐えられるだけの確信を持つまでの精度で見通していること。このような超人的な能力が必要になるわけである。
困難の2つ目は、人民が新しい取り決めを拒む性質を持つことである。新しい法は、全人民が何か新たな負担をして、それを総合した結果として新しい力を得る、そうして共通利害を達成する、という順になる。直接的には、それは自己の負担が増えることを意味するのだ。たとえ、ある法に従うことが、長期的、全体的には政治体のためになろうとも、それが直接的に自己の負担につながると判断したら、抗うだろう。そのような人民に対して、どうやって新たな法を飲ませるかが課題になるわけだ。
法は、本来、社会的結合の諸条件以外の何ものでもない。法にしたがう人民が、その作り手でなければならない。社会の諸条件を規定することは、結合する人々だけに属することである。だが、彼らは、これらを、どういうふうに規定するのだろうか?それは、突然のインスピレイションによる全員一致によるのだろうか?政治体は、その意志を表明するための機関をもつのだろうか?誰が、そうした法令を作成し、あらかじめ公けにするために必要な先見の明を、政治体にあたえるのだろうか?また、政治体は、どういうふうに、必要な瞬間にその法令を発表するのだろうか?目のみえぬ大衆は、何が自分たちのためになるのかを知ることがまれだから、自分が欲することを知らないことがよくある、そうした大衆が、どういうふうに、立法組織というような、あのように困難な大事業を、自ら実行しうるのだろうか?人民は、ほっておいても、つねに幸福を欲する。しかし、ほっておいても、人民は、つねに幸福がわかるとはかぎらない。
偉大な立法者
ルソーの答えは、国家を形成した最初に、無私で、公益のために身を捧げる偉大な立法者が、その天才性によって法を発見し、宗教によってそれを大衆に飲ませる、である。特殊な能力を持つ個人の資質に依拠するわけだ。
もろもろの国民に適する、社会についての最上の規則を見つけるためには、すぐれた知性が必要である。その知性は、人間のすべての情熱をよく知っていて、しかもそのいずれにも動かされず、われわれの性質を知りぬいていながら、それと何らのつながりをもたず、みずからの幸福がわれわれから独立したものでありながら、それにもかかわらずわれわれの幸福のために喜んで心をくだき、最後に、時代の進歩のかなたに光栄を用意しながらも、一つの世紀において働き、後の世紀において楽しむことができる、そういう知性でなければなるまい。
一つの人民に制度をあたえようとあえてくわだてるほどの人は、いわば人間性をかえる力があり、それ自体で一つの完全で、孤立した全体であるところの各個人を、より大きな全体の部分にかえ、その個人がいわばその生命と存在とをそこから受け取るようにすることができ、人間の骨組みをかえてもっと強くすることができ、われわれみなが自然から受け取った身体的にして独立的な存在に、部分的にして精神的な存在をおきかえることができる、という確信をもつ人であるべきだ。ひとことでいえば、立法者は、人間から彼自身の固有の力を取り上げ、彼自身にとってこれまで縁のなかった力、ほかの人間たちの助けをかりなければ使えないところの力を与えなければならないのだ。
立法者は、あらゆる点で、国家において異常の人である。彼は、その天才によって異常でなければならないが、その職務によってもやはりそうなのである。
賢者たちが、普通人にむかって、普通人の言葉ではなく彼ら自身の言葉で語ろうとすれば、彼らの言うことは理解されないであろう。ところが、人民の言葉に反訳できない観念は、沢山ある。あまりに一般的な見解、あまりにもかけ離れた対象は、等しく人民には手がとどかないものである。各個人は、自分の個別的利害に関係があるのでなければ、どんな政府案も好まないのだから、良法が課する永続的な不自由からえられるに違いない利益を、容易に認めようとはしない。――中略――
こうして、立法者は、力も理屈も用いることができないのだから、必然的に他の秩序に属する権威にたよる。その権威は、暴力を用いることなしに導き、理屈をぬきにして納得させうるようなものである。
このようなことから、あらゆる時代を通じて、建国者たちはやむなく、天の助けにたより、彼ら自身の英知を神々のものとしてほめたたえたのである。それは、人民が、自然の法則にしたがうのと同じように国家の法律にしたがい、人民の形成と国家の形成とのなかに同じ力を認め、自由な心で服従し、公共の幸福のクビキをすなおにうけるようにするためだったのである。
分析
これをどうみるかだが、私は答えになっていないと思う。課題が困難であることを理由に、超人的能力を持っているやつがありえない仮定をくぐってそれを実現する、ということを想像することに意味などないし、実際に取り決めをし、行動をしている政治体が無数にあることの説明にも、そこに潜む原理の解明にもなっていない。そして、私はこの課題を解くことは可能だと思う。
困難の一つ目は、議論過程で補われるべきものである。
各自の目的は前提で一致しており、よってその共通利害を実現しようと欲することについても全員が一致している。ただ、各自の持つ、政治体と外的状況についての情報は各自で相違しており、それに応じてそれぞれ異なる方針を最善だと思っている。各自の相違点は、ただこの点においてのみ存在する。ならば、議論過程で情報を共有すれば、それによって最善の方針について一致することができるはずだ。何も、一人の超人的な人間を仮定する必要はない。
困難の2つ目は、共通利害が人民の意識に日常的にのぼるよう、意図的に努める必要がある、ということを意味するだけである。政治体によって利益が実現されていることを、繰り返し意識に叩きこめばいい。また、平等性を意識的に保つことで、誰も個人では自己の利益を実現できない状況を維持し続ければいい。自然の秩序に任せるままなら、政治体についての意識は薄れ、政治体に由来する負担はできれば避けたいものだと思うようになるだろう。だが、それに任せたままにしなければならない理由はないのである。
例会中で出た意見
第6章 法について
一般意志についての説明をする。組織の共通の目的だ、という話。また、個々人が持つ特殊意志のうちのひとつだということ。
啓蒙についての説明。通常、新しく何かをするとしたら、それは必ず個人的には負担を負うことになる。だから、長期的に、こういう利益があるということを教える必要がある。
第7章 立法者について
私利と公益とを分離できるのかという話をする。組織ができた直後の、それによってのみ自分の利益が実現できると確信している状態であればできるのではないかということをはなす。
宗教との関係。それが政治の道具であるというのが、おもしろいという意見。
第8章 人民について
第9章 つづき
文化が違ったら、一致できないのかという話をする。
共通利害が鮮明だったら問題にならないのだろうが、それが薄れると問題になるのかもと答える。
第10章 つづき
自給自足できるというのが国家の条件
第11章 立法の種々の体系について
平等性が、国家を存続させるのに必要だというはなし。
第12章 法の分類
建国の精神が大事
法の分類が、現在のものと違うということを話した。
全体の感想
- 実際の経験にあわせて考えられた
- 宗教との関係がわかりやすい
- 原典をよんでみて、法を適用する個々の国についての具体的事例が書かれているのがわかってよかった
- 立法者の記述に力をいれることでごまかしている感がある。立法過程では、たとえば議論をするだとかの意志一致の方法があるはずなのに、それが投票というのだけで終わっている。もっと何かかけたのではないか