スピノザ『エチカ』第二部

前回のおさらい

  • スピノザは総合的方法を用いている
  • 対象者はデカルト
  • 神が第一だとおもっているやつに唯物論を説くと、汎神論的な見た目になる

現実の表象

  • 人間精神の実体性を否定したことにより、認識論も変更を迫られる。「精神が一方にあり、他方に物体が存在する。そして精神が物体を認識する」という考え方が不可能に。
  • そこで、「我々が表象を持っている」ということをスタート地点にし、それを分析する。
  • 我々は、現実のものを意識する。目の前にカップがあればカップの、人がいれば人の、太陽があれば太陽の表象を持ち、それを意識する。
  • その表象とは、人間身体が、外部の物体と接触することによって生じているものなのではないか、というのがここでの主張。
  • 表象は、人間身体と外部の本性を含むことになる。太陽の表象であれば、太陽が持つ丸い、熱い、光り輝く、という本性と、自身の身体の本性を含む。そして、両者がどれだけ離れているかだとか、対象によって身体がどういう影響を受けたのかだとかが、その表象に反映される。

過去の表象

  • 経験した表象は、身体に記憶される。
  • そして、それと一緒に経験をした表象を見れば、それを想起する。例えばりんごを目の前にしたとしたら、それと過去に一緒に見た表象を想起するわけだ。
  • もちろんそれは、各人の環境によって異なる。そこから軍人を思い出す人もいれば、畑を思い出す人もいるだろうように。

個物の認識

我々が、外部のものを認識したり、自己について認識したりするのは、表象に含まれている

  • 人間身体の本質
  • 身体外部本質

を分離することによってである。
はじめはこの両者を明確には分離しておらず、それがすべて対象に帰属するものとして考える。太陽の表象を持つとしたら、「丸い、熱い、光る」という性質とともに、自身の身体状況も同時に意識するわけだ。だが、経験を重ね、様々な環境において太陽を眺めることで、個々の状況において異なる、身体的な要因、環境的な要因を取り除いてそれを意識することになる。このようにして、我々は身体外部のものについて認識する。
同様にして、人間身体についても意識する。それは、どの表象についても現れるものとして意識される。暑い、汗をかいている、衝動を意識する、などなどだ。さらには、そのどれにも付属するものということで、自分の身体というものを本質、すなわちそれらに常に付随するものとして意識するだろう。手を持ち、足を持ち、鏡にうつり、というように。このようにして、人間身体についての表象を形成する。

妥当と非妥当

  • 以上のことを前提にすると、「我々はどうやって対象の真の観念を持てるか」「真の基準は何か」等の問題についても明快な答えを出すことができる。
  • 真という言葉が意味するのは、ある対象にあった時に思い描く過去の表象と、現実の表象とが一致することである。優しいと思ってたやつが怖い、いいやつと思ってたやつが悪い行為をする、という場合はそれが偽であった。逆に、そこで想起したとおりにそいつが行動すれば、その観念は真であったというように言うわけだ。
  • どの観念であっても、それははじめは非妥当なものになる。我々の認識の仕方というのが先にみた仕方のみであり、それが必ず身体、あるいは身体外部の本性を含むからだ。

真の観念に到達する方法

「内部から決定されて、すなわち多くの物を同時に観想することによって、物の一致点・相違点・反対点を認識する」ことで解消することができる。要は、洗練された一般概念を形成すればいいわけだ。すると、その対象にあったときに想起する表象通りに、対象が動くことになるわけである。

スピノザの説の効用

  1. 我々の最高の幸福がどこにあるかを教える
  2. 運命に関する事柄あるいは我々の力の中にない事柄に対して、どんな態度をとらなければならぬかを教える
  3. 共同生活に寄与
  4. 国家社会への貢献。人民をいかにして統治すべきか

例会中に出た意見

  • 実体とは何か
  • 神=自然というのは既に証明されているのか。されていないなら論点先取になる→第一部で証明されている
  • スピノザのいう観念が何かがイメージできない
  • 人間が経験しか持たないということは、真理にたどり着けないということでないか→人間の認識は時代、環境に規定される。狭い領域で特殊な経験のみを与え続けられたなら、それを突破する方法などない。人は新しい経験をすることにより、漸次的に真理に近づいていく
  • 提起者は真理に近づく例として、各個人をどうやって認識するかという例しかあげてない。スピノザのいう真理の認識というのは、そのような倫理的な領域に限定される話では→料理法でもなんでも、真理は普通、漸次的に得られるのでは
  • 共通概念はどういう扱いになるのか→存在は認められる
  • 抽象的な概念はどう説明されるのか→一般概念や超越概念については第二部後半で扱う
  • すべてが経験に由来するとしたら、必然性が導けなくなるのではないか
  • ここで説かれる倫理学というのは、万人が獲得できるようなものではないのではないか→スピノザは少数者しか獲得できないと考えている
  • 決定論と倫理は両立するのか→既存の倫理学を、無力なものとして否定し尽くした上で、新たに構築するという構成。必然性と自由は矛盾しない、という言い方がなされる。
  • スピノザは知性を認めるのか→認めない。すべては感情であり、知性もその一種

例会後の感想

TN:独特な人間観。次回の倫理学に興味ある。
SM:難しい。デカルトと同時代な割には理性をシニカルに捉えている
KW:難しい。他の人の意見を聞けてよかった。
TM:これまでちゃんと読んだことがなかった。人間を理性的なものとして捉えた、といわれてたがそうでもなかった。シニカル。
ST:実質的に唯物論で、どうやって精神を唯物的に捉えるかというもの。認知科学等での精神の説明は説明になってないという話があるが、スピノザの場合、観念とか概念とかを扱っていて、それらのやり方とは違い独特。

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