ライプニッツ『モナドロジー』
- デカルト、スピノザのやったことと同じ問題意識
- デカルトは3つの実体を想定した。だが、それでは説明が不充分。精神は複数存在するから
- その時には諸々の難問が生じるだろう
- それを解消する仮説がモナドロジー。「微小表象によって構成されるモナド」と「予定調和」がポイント
- 革新的なのは前者で後者は凡庸、よくありそうな理論
解決すべき難問
- 死後の魂について。増え過ぎたりしないか。いつ生じるのかなど
- 他者に魂を認めるなら、動物や植物はどうなるのだ
モナド
微小表象
- 微小表象によって構成されているものがモナドだという発想
- 物体が微小物体を想定すればうまく説明できることのアナロジー
- モナドがメインではなく、表象がメイン。それが微小物質のように各地にちらばっている。ある表象をしたとしてもそれは自分が意識しているわけではなく、ある表象が集まってそうなっているだけだ
- 表象を物質化しているという点で非常にトリッキー
- その表象にも個々の段階があり、無意識なものでも精神は構成されている。そして、曖昧な表象で成り立っているのが動物。そこにはグレードがある。そして死とは、表象が曖昧になることである
難問の解決
- どこから魂が生まれるのかだとか、死んだらそれはどこにいくのかだとか、魂が増え過ぎたりしないかだとかの難問が、解決される。あるのは個々の表象のみで、それがある形を形成し、後に崩れるというだけでしかないから
- また、死とは何かという問題も答えら得れるし、動物や植物に魂はあるのかという問題にも答えられる。いってみれば無機質なものはなく、すべては生命で満ち溢れてもいるのだ
記憶、判断、自我
- 26あたりから、記憶などについて語られる
- ここからは、前のモナド論と一貫性はない。微小表象から説明しているわけではない。ただ、人間精神というものを説明するためには、記憶といったこれらのものについて述べる必要があり、この箇所を設けたのだと思われる
- 記憶とは何か、意識とは何か、反省とは何かについて全く説明されていない。
予定調和
モナド間の調和
- 最初に、事実的真理と論理的真理という2つの区別がある、そして前者を辿っていくと神に行き着く、という話をする。物事の系列を遡れば無限後退に陥るから、最初にそれを作ったやつがいるはずだ、そしてそれが神だという凡庸な議論
- その神が、個々のモナドを作り、それらをうまくコントロールする。モナド間の交流というのは実は見せかけで、あるのは神による予定調和のみ。だから、「各々が自由意志を持っていながらどうやって相互に影響を与えるのか」という難問は解決される。実は与えているように見えるだけで、それは神によってそうなってるだけなのだ
デカルト、スピノザからのパクリ
- 神の存在証明だとか本質についての議論だとか、能動性、受動性の箇所だとかはすべてデカルト、スピノザと同じもの。だから部分部分だけみれば筋が通っているものの、ライプニッツはあまり理解せずに勝手に用いているだけだから、そこだけ読んでも理解できない。
弁神論
- 個々の境遇について文句をいってはならないとか、神を崇めよとか、神の国を作ろうとか、そういう議論を最後の方で熱っぽくしている
- 個々のものが陥っている問題を解消しよう、というよりは、キリスト教について疑っている人を相手に、それでもやはり神を信じろとオルグするのが目的の文章
例会で出た感想
- この理論で納得できる人は幸せ
- 新興宗教の教説書みたいなもの。思想家としては面白い部分はあるが、哲学者ではない
- 池の中にも生物が溢れているという比喩などは、ヘラクレイトスや禅のお坊さんみたいで、思想家としては面白い
- モナドロジーという表題でイメージしたのとは異なり、神をどう体系づけるかという話だった。モナドの話は最初だけで終わった
- なんでこのひとの理論が今まで生き残っているんだろう?哲学史的に意義があるようには見えない→キリスト教にはもってこいだったからでは?カントやフッサールの影響?