ルソー『社会契約論』一般意志
構造
問題意識
- 組織と個人の関係がテーマ。自己の利益を追求するはずの人間が組織に従うのはなぜか、そこにある不正に甘んじているのはなぜか、というのがルソーの問題意識
- 前者についてまず考察される(今回)
- 後者については、立法過程、執行過程を見た後で考察される(次回予定)
自然状態から社会状態へ
- 社会状態が存在する前の、自然状態を想定
- そこから各個人が集まり、社会状態が形成される過程を考える
- こうすることによって、社会的関係の基礎にあるものが見えるんじゃないか、という発想
- この手法はルソーの発明によるものではなく、ホッブズやロックが先行して行っている
自然状態の脆弱性
- 自然状態では、各自は自由であり、自己の欲求を実現するため、すべてのものを自己の手段として利用することが可能である
- しかし、それは実際的には無意味である。他のものも同様に、自分を手段として扱ってくるからだ。結果、自己の求めるものは、ほとんど達成することができない
克服の理論
- これは、個としての力が、自然全体において相対的に弱いことから生じる
- この脆弱性は、同じ欲求を持つもの同士の協働によって、克服することができる
- 例えば、自分一人だけなら、それがどれだけ強大であっても、寝てる間に襲撃されることは防ぎようがないだろう。だが、複数人が協働すれば、交代で見張りに立つことでこれは解決できる。あるいは、構成員の一人が攻撃されれば、その他の構成員全てで反撃するという状況を作れば、容易に襲われなくなるだろう
- 協働の前後で、各個人が自然に対して持つ力量が変化したわけではない。しかし、「多数の個体があたかも一つの個体であるかのように動く」ことで、自然において、より強大な存在になれるわけだ
- 組織状態とは、「一つの判断のもと、各自が労力を提供する状態」である。その結果として、各自の利益を実現するわけである。一方、それまでの状態は、「各自が各自の判断のもと、各自の労力を利用している状態」と整理される
難点
- だが、ここには難点がある。全体の判断に従うことは、自己の判断の放棄を意味する。これまで、それが自己の生存を確保するための唯一の根拠だった。全体の判断が、必ず自己の利益を実現すると言い切れるだろうか?自己の持つ労力がいいように利用され、自己の利益が実現されない事態になるのではないか?この難点が解決されない限り、組織に所属することは不可能になるわけである
解答
- 構成員すべてが同時に、自己の判断を放棄することにより、これは可能になる
- このとき、各自が自己の利益を追求しようとすれば、それは組織全体の利益を考慮することになる。その組織全体の力によってでしか、自己の利益は実現できないのだから
- また、組織の意志を決定する過程で、不当な要求を通そうと試みる者も生じないだろう。そこでなされた決定は、等しく自分にも降りかかるのだから
導かれること
- 組織の本質は、「一つの判断のもとに、構成員が労力を提供する」ことにある
- 組織に従うのは、それによって自己の利益を実現するためである
- 組織に従い、何らかの労力を提供しているのは、それが共通利害の実現に必須だと意識し、かつ、他の構成員も同じように労力を提供していると思っているからである
概念の説明
一般意志
- 組織は、あたかもそれが一個の個体であるかのように、自己の最善を意識し、それを実現するために行動することになる
- 構成員の目的が一致し、かつ平等性が担保されている組織であれば、組織の最善を把握することは容易である。自己の利益を考えれば、それが組織の利益を考えることになるのだから。そしてそれは、その他の構成員についても同様である
- 構成員は、物理的には別々の個体である。だが、上の条件により、組織の最善について各自でバラバラに考えながらも、そこで考えることは一致する。ただ、各人の持つ個々の情報量の差により、それを実現するための方法が細部で異なっているだけである
- 構成員が共有している、組織全体の意志を、一般意志と呼ぶ。「我々に共通の、○○という目的を達成するためには、〇〇が適切である」という形で語られるものがそれである。
- 通常、人間は個々の組織に所属しており、常に一つの組織の最善のみを意識しているわけではない。そしてそれは、各自でバラバラである。それは、一般意志と対比して、特殊意志と呼ばれる。また、そのバラバラの特殊意志を単純に合計したものを、全体意志と呼ぶ。それは、一般意志とは異なり、一致する根拠が存在しない
社会契約
- 自然状態のどこかの場面で、各個人が集まり、何かしらの契約をして社会状態を形成した、というわけではない
- 組織が存在する以上、暗黙であれ何であれ、必ず前提としている条件がある。それを明らかにしよう、というのが上の議論だった
- 社会契約という言い方になっているのは、この考察手法を最初に考案したホッブズが、社会状態への移行過程で契約があった、と主張し、それにルソーが引きずられているためと思われる