ルソー『社会契約論』立法、執行、腐敗
立法過程と執行過程
- 全体で単一の方針を形成し、それに基づいて各自の労力を配分する過程について考察しよう
- それは、立法と執行という2つの過程に分けられる
立法
前提
- 各自の目的は共通している。それは、組織の利益の実現だ。そしてそれを実現するには何をすればいいかは、構成員如何に関わらず、自然の秩序によって一意的に決まるだろう。これをどうやって獲得するかが、課題になる
- 前提により、各自は自己の利益を考えれば、組織の最善を考える状態にある。だが、情報量の差により、各自の思う方針は相違しているだろう
- この状態から、組織の取るべき最善を、どうやって導けばいいか
方法
- 全体で情報を共有する過程を経ればいいわけである。それは具体的には次のようになるだろう
- 全体で一堂に会する
- 誰かが、自身の思う最善の方針をその者の知っている情報を根拠に提起する
- その提起を聞いた構成員は、提起者と同じかそれ以下の情報量しかないのであれば、黙っていればいい。だが、もし提起者と異なる情報を持っており、その方針が最善だと思わないのならば、その根拠をあげてその提起を批判すればいい。そして、提起者はその提起を修正するなり、取り下げるなりすればいい
- この過程を、異論がなくなるまで続けたとしよう。そうすれば、最終的には各自の持つ情報はすべて共有され、それに基づく方針は最善に近いものになるだろう。当然、各自の情報をあわせても情報として不十分であり、それに基づく行動が不適切な結果になることもありうる。しかしそれは、人間が神でない以上仕方のないことである
- このように、全員参加による全会一致が立法過程の基本になる
法とはなにか
- このようにしてできた取り決めが法である
- それは、新たに生じた問題に対処するという性質上、必ず構成員個々人の負担を増すものになるだろう
- だが、それが組織全体の目的の実現に必要であるということ、そして自分以外の構成員も同様にそれに従うと確信していることから、従うことになるのだ
執行
- 立法過程で新しい決定をしたとしよう。それは必ず、それを実現するための新たな労力を必要とする。この労力は、構成員各自に配分され、それぞれ執行されなければならない。これが執行過程である
- 初期には、執行過程は、立法過程の直後に、全員で行われる。しかし、組織が形成されて時間がたてば、そのうちこの過程は分離されることになる
- 例えば一緒に部屋を掃除するなり何なりで、共通の利害を持つ誰かに一緒に掃除をしようと提案する。そこにおいて、共通の目的である「部屋をきれいにする」ことを実現するための方針を練り、それが適切だと互いに確認する。これが立法段階。
- すると次に、それを実現するための仕事の配分に入る。それを実現するために必要な仕事を列挙して分担、実行。これが執行。二人以上でなにか取り決め、行動をするときには必ずこの2つの段階が(明確に意識されなくても)含まれている
立法過程との違い
- 立法段階では、先に見たように全体での参加が必須である。だが、執行過程において全員が参加する必要性はない。全体を把握している誰かが決めればいいだけだからだ
- また、この両者は分離した方がスムーズである。立法過程において、自己が執行過程で負担するだろうことを各自が意識すれば、紛糾するからだ。
次の段階
- 立法過程のたびに執行者を選び直すよりも、固定した方が適切だろう。選ぶための手間が省けるからだ
- また、ルーチンワークに専属で取り組む委員会を固定したほうが、経験値が蓄積され、より効率的になるだろう
- こうして、執行委員会と、それから分離した各種委員会が生じる
腐敗過程
人民
- 人間はその性質により、一般意志ではなく特殊意志へ向かう
- 初期には意識されていた一般意志は、立法過程への参加、執行による労力の配分、というプロセスを経ないならば次第に弱まっていくだろう。与えられているものを空気のように思い、強いられる負担はできれば避けたいものになる。自分がそれを避けても、他の人が勝手にやってくれるならばその分だけ得なわけだ
執行部
- 執行部は、その仕事だけを切り取って見るならば、組織全体の労力を自分たちの思うがままに利用できる立場にある。一般意志が薄れれば、組織全体の利益を追求するよりも、執行部という特殊利害を追求して組織を裏切った方が得だということになるだろう
- さらに、それを固定化する試みは容易である。全体のため、公安のためという理由で、自分たちに反対するものを処罰し、全体を黙らせればいいのだから。全体の意志が表明される機会を奪うことで、その座に居続ける
国家の解体へ
- 執行部が主権を奪い取る。この場合、少数の執行部とそれ以外の人民という戦いになるだろう。一つの国に2つの国ができるのと同じことになるわけだ。そしてそこでは、人間の本質と、人間が組織に従う本質などを欺瞞的に利用した、実質の自然状態に戻ることになる
- 構成員が国家に従わなくなる。この場合は多数の国家が現れるということになるだろう。誰も国家の判断に従わず、それを強制するものもおらず、各自が各自の特殊意志にのみ従う状態
結論
- 人間が組織に従う原理と、現在の国家が腐敗したものであり、その原理を悪用した状態にあるということが示された
- では、どうすればいいか?ここから、現在の国家を建て直すにはどうしたらいいか、あるいは腐敗しない国家を作るにはどうしたらいいか、という方面には向かえないように思える。腐敗は必然であるし、それを防ぐ手段もない。
- 現状の国家が腐敗していることを前提に、ここで把握した原理を利用して、自分にとって利益となる行為をせよ、という結論になると思われる。
個々の考察
代議制民主主義
- 馬鹿げたもの
- そもそも代表することができない、というのが理由。全体と個別が一致したのは、各自がそこで自己の利益を考えていたから。代表者がそれを考える保証などどこにもない
多数決の原理
- 組織の目的を実現するために何が最善かは、組織内部の状況と、それを取り巻く外部とにより一意的に決まる。それに近づくために、限られた情報しか持っていない構成員が、それを共有するのが立法段階。
- 従って、全員が情報を共有し、全会一致になることが望ましいということになる
- だが、外部を原因とする抜き差しならない状況が、全会一致まで議論をすることを許さない場合がある。その際には、全員がその認識を共有し、「多数決の結果に委ねる」ということに全会一致をしたのちに、多数決を行うことになる
- これは「現状において多数者が賛成しているものが適切である可能性が高いだろう」という経験則による
少数者の意見の尊重
- 立法過程において必要になる
- 立法段階で導くものは組織の利益を実現するための最善。それは自然において一意的に決まること。だから、提起された段階において、その意見を持つものが少数か否かは無関係
- 逆に言えば、立法過程のこの段階以外の領域において、各自の意見を尊重する根拠というのは特にないということになる。また組織の目的自体を否定するような意見を容認する根拠もない