近世哲学史 デカルト~ヒューム

デカルト

懐疑の構造

デカルトは、確実なものを見つけるために、懐疑を行う。その際、少しでも疑いうるものは偽と判断する、という徹底的な態度を取る。
日常的な感覚に基づく判断からはじめ、身体的感覚、数学的真理と順に疑う。これらについては、それぞれ疑う理由を見出すことができた。だが、「我の存在」についてはそれができなかった。こうして「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という境地に至る。『省察』はこのような構成になっている。
これを説得力のある議論だと思う人は少ないはずだ。「デカルトが頭の中で考えてそうなっただけでしょ」「やろうと思えばそれも否定できるんじゃないの」と思うのではないだろうか?それは、デカルトが用いた方法論について知らないからそう思うだけである。
デカルトは、ここで総合的方法を用いている。それは、特定の相手を対象とし、「相手の用いる言葉と、相手の認める原理のみを用いて一致を積み重ねる」方法であり、「その特定の相手から絶対に同意を奪取できること」を特徴とする。その特定の相手は、懐疑論者である。
デカルトは、懐疑論者を相手に、懐疑論者の言葉と原理を使って同意を奪取しようとしているのだ。その観点で、先の議論をもう少し詳しく見てみよう。

デカルト「遠くから見たら四角い塔が、近くにいったら実は丸かったということがあるだろう。したがって感覚器官は信用できないのだ」
懐疑論者「そのとおりだ」
デカルト「身体感覚については君は確かだと思うかもしれない。だが、君は夢を見ることがあるだろう。そこにおいて、それが間違いだという経験をしたことがあるはずだ」
懐疑論者「そのとおりだ」
デカルト「数学的真理、例えば2+3=5というのは夢でも疑えないと思うかもしれない。しかし、欺く神というものを想定してみよう。そしてそれが私が計算するたびに間違えさせているとしよう。こうしたら、数学的真理も疑わしいと言えるのではないか」
懐疑論者「君もなかなかやるね、デカルト君!」

このように、しつこく実例を積み上げたうえで、デカルトはいよいよ次の段階へ行く。
デカルトは次のように懐疑論者に問いかける。私達は三つの懐疑を順番に行ってきたが、そこで実際に行っていたことは「提示された主張に対して、それに反する事物を想定する」ことではなかっただろうか。すなわち、日常的な感覚に基づく判断には「過去に誤った例」を、身体的感覚には「夢」を、数学的真理には「欺く神」を、というように。懐疑は、無条件に行えるわけではない。提示された主張を否定する事物を頭の中で思い浮かべ、その上で「これについて私は疑う」と言っていたのである。

デカルト「さて、今までの例からも分かるように、懐疑という行為が実際に意味しているのは、その反対物を想起する、ということではないか。それとも君は、そうでない懐疑をしたことがあるかね」
懐疑論者「……」
デカルト「ならば、その反対物を想起できないものについては、君も真だと認めているということではないかね。君が行っている懐疑は、何にでも通用する第一原理などでは決してない。ただその使用に際して注意を払っていなかったから、君がそう思い込んだにすぎないのではないかね」
懐疑論者「……」

最初に懐疑を一々丁寧に、例を挙げて行ったのは、相手の同意を得て逃げ道をなくすためだったのだ。このように一致点を一つずつ積み上げ、一々確認する議論をされると、反論をすることが構造的にできない。先に自分が認めたことと矛盾してしまうからである。導かれたことが自分にとって不都合なことであったとしても、不同意を示せば次のように言われてしまうだろう。

「私達は、懐疑が実際にはどのようなものかを、実例を見ながら丁寧に考察してきたではないか。それについてあなたは一々同意していたではないか。それなのに今更、懐疑が何かについて問題にしようというのか?」「さっきまでしていた議論がどんなものだったかを君が忘れたというのなら、もう一度やってあげようか?そこで、私がどのような例を出し、君がどんな風にそれに同意したかを再現してあげよう」「私達が行った懐疑のうち、どれを認めて、どれを認めないのか言ってくれるかい?三つしか懐疑はしてないんだ、指摘できるだろう?」「反対概念を想起しない懐疑があるというのなら、その実例を挙げてくれないかな?」「もしかして、あなたは懐疑の内実について何も考えておらず、口先だけで懐疑すると言っているんじゃないか?」

コギト・エルゴ・スム

そして最後に、我の存在が確かなものであるという同意を、懐疑論者から奪取する。

デカルト「では、考えている限りにおいての我、について考えてみよう。ここまで一致してきたことからして、もし君が「我の存在」を疑うなら、それに反する事物を想定しなければならない。君は、そのようなものを挙げることができるろうか。「過去に誤った経験」でも、「夢」でも、「欺く神」でも、その他何でもいい。もしできたなら、それが何かを具体的に言ってくれ。もしできないなら、「我の存在」は真だと君も認めていることになるね?」

明晰判明の規則

また、この過程により「それを否定する事物を想定できないものは真である」が第一原理の座を得ることになる。これは、明晰判明の規則と呼ばれる。これまで「すべては疑いうる」を第一の原理としていたのは、懐疑の内容について真面目に考察しなかったことに由来する勘違いでしかない。懐疑論者は、懐疑が実際に何を意味するかも知らず、口先だけで「私は疑う」と言っていただけだったのである。

神の存在証明

これで話が終わったのなら非常にスッキリするのだが、そうはいかない。なぜなら、「我の存在」は実際は脆弱で、すぐに否定されてしまうからだ。
デカルトは一室に閉じこもり、数日を通して暖炉の前に座って省察をし、我の存在を証明した。たしかに上の議論は、外的なものに全く邪魔されないそうした状況ならば、通用するかもしれない。だが、一歩外に出たらどうだろう。冷たい外気が体を震わせ、体調の悪化が意識させられる。生活の糧を稼ぐために他者や組織と接する必要があり、そこで従属を強いられる。自己を否定しうる、自己と異なる原理に従うものの総体、すなわち自然全体に出会うのである。
先の過程で導かれた「我」は、その本性について考えたときに、そこから存在を切り離して考察することができないものである。このようなものは、実体と定義される。今、意識されている自然全体についても、それが実体であると認めざるを得ないだろう。
さらにこれは、「我」と「自然全体」の相互関係の考察に至るだろう。我は、自然全体の内部にあり、それに従属するものなのではないだろうか。我を実体と判断したのは、自然全体を意識しなくても済む、特殊な環境下にいたからに過ぎないのではないか。我を実体としたのは不当な普遍化であり、ただの勘違いではないか。こうした考察に至るのである。

この問題を解決するために必要になるのが、神の存在証明だ。
我と自然全体という二つの実体の上位に、同じく実体性を持つものが存在し、それがこの両者を産出した。そしてそのあとも、両者の併存を可能にしている。こう考えれば、矛盾は解消される(ように見えるかもしれない)。その上位の実体を、デカルトは神と名付けるわけだ。
神の存在証明を一度してしまえば、たとえ暖炉の側を離れ、外に飛び出し、自分を否定し得る自然全体を意識しても、我の実体性を否定しなくて済む。「確かに私はそこに含まれるように見えるかもしれないし、それに否定されえるように見えるかもしれない。でもね、それはそう見えるだけなんだよ」と言って合理化できるわけだ。

心身二元論

この神の存在証明の鍵になるのが、心身二元論である。
デカルトは物体を貶め、それが精神から生み出されたものだと主張する。

物体的事物の観念において明晰かつ判明であるもののうち、若干のもの、すなわち、実体、持続、数、その他これに類するものは、私自身の観念からとりだされたように思われる。

また、精神と物体とが全く異なったものであり、精神の微細な作用を物体は生み出すことができないと主張する。

そして私は、両親とか、神ほど完全ではない何か他の原因によって、生み出されたのかもしれない。いな、けっしてそうではないのである。(中略)私の原因として結局、どのようなものがわりあてられるとしても、それはまた考えるものであり、私が神に帰するすべての完全性を有するものである、と認めなくてはならないのである。

こうして、精神と物体とは全く別物であり、かつ物体は精神に劣ったものだという二元論を受け入れさせる。すると、精神が自然全体の一部であるわけがないし、従属的なものでもない、となるわけだ。我の不完全性の意識から、自然全体を唯一の実体として確信する過程が歪められ、

我は不完全である→自然全体が唯一の実体であり、我はその一部である

が成り立たなくなる。そして、

我は不完全である→だが自然全体はその原因ではない→上位の実体である神が存在する

という仕方で、神の存在が証明されるわけである。

神の存在証明(表現的実在性)

心身二元論に基づく神の存在証明は二つある。一つが、表現的実在性(虚構したと思えないほどの現実感を持つ、という意味)による証明だ。
私のうちには、表現的実在性を持つと思われる観念が二つある。ひとつが自然全体の観念であり、もうひとつが神の観念である。
このうち、自然全体の観念については、私が作り出すことができる。先に見たとおり、物体は精神に劣ったものだからだ。しかし、神の観念については作り出すことができない。
こうして、神の存在が証明される。

もしも、私の有する観念のうち、あるものの表現的実在性がきわめて大きく、その実在性は形相的にも優勝的にも私のうちにはないならば、ここからして必然的に、私ひとりがこの世界にあるのではなく、その観念の原因であるところの、何か他のものもまた存在するということが帰結する、ということである。

神の存在証明(我の存在の原因)

もう一つが、我の原因を遡ることによる証明である。誰でも、自分の存在根拠を遡る思考を、幼少期に一度はしたことがあるだろう。「自分が生まれたのは両親が存在したからだ。その両親が生まれたのも、それぞれに両親が存在したからだ。そのそれぞれの両親が生まれたのもまた…」というように。これを続けると、自然全体なり何なり、物体的なものをその原因として措定することになる。
デカルトがここで行う証明も、構造は同じである。だが、デカルトの場合、物体を精神より劣ったものとしているため、神の存在が証明されることになる。
デカルトは次のように言う。私は持続性を持たない不完全な存在である。したがって、その原因が他に求められなければならない。しかし、両親その他の物体的なものを原因とすることはできない。なぜなら、我は精神的な存在だからである。劣った実体である物体が精神を生み出すことなどありえない。したがって、神が我の原因である。
こうして、神の存在が証明される。

ゆえにいまや私は、自分自身に問わねばならぬ。私は存在するところのこの私をすぐあとにもまた存在せしめるような、ある力を持っているかどうか、と。ところで、私は考えるもの以外の何ものでもないのであるから、あるいは少なくとも、ここで私が問題にしているのは、私の部分のうちでも、まさしく考えるものであるところの部分なのであるから、もし何かそのような力が私のうちにあったとするなら、疑いもなく私はそれを意識したことであろう。しかるに私は、なんらそのような力があることを経験していない。そこで私は、この事実から、私が私とはちがったある存在者に依存するということを、きわめて明証的に認識するのである。

神の存在証明(アプリオリ)

デカルトは別の仕方でも神の存在証明をしている。それは、先の二つの証明と対比して、アプリオリな証明と呼ばれる。哲学史的に取り上げられるのは、ほぼこの証明だ。
その内容を見てみよう。

確かに私は、神の観念を、すなわち最も完全な存在者の観念を、どんな形の観念、あるいはどんな数の観念にも劣らず、私のうちに発見するのである。さらに私は、つねに存在するということが神の本性に属することを、あるいは形もしくは数について私の論証することが、その形もしくはその数の本性に属することを理解する場合に劣らず、明晰にかつ判明に理解するのである。

神の本性には存在が含まれるから、神は存在するという証明だ。
ここまでの考察を追ってきた者にとっては、「何を今更」という印象を持つだろう。コギト・エルゴ・スムを導いた段階で、我の本性が存在を含むものであることを証明したではないか。そのあともずっと、「本性が存在を含むもの」すなわち実体についての話をしていたではないか。その話の延長で神についての話をしていたのに、いまさらそんな定義段階の話をして何の意味があるんだ。このように思うはずである。
しかし、神の存在証明を求める者への回答としては、アプリオリな証明の方が、アポステリオリな証明よりも問題意識に適っているのだ。だからデカルトは、わざわざこの証明を追加しているのである。
神の存在を疑う者がいるのはなぜか。それは、アポステリオリな証明を知らないからではない。実体を諸事物と混同しているからである。我々は、犬、猫、人間、植物、椅子、机などといった諸事物に囲まれている。それらは、移ろい、複数で、消滅する、という共通点を持ち、それゆえ存在しない状態を考えることも容易である。例えば犬であれば、それが産まれる前の状況なり、死んだあとの状況なりを想起することができるだろう。これは、猫でも、椅子でも、机でも、何にでも共通する。我々は普段関わるのは、そのような「存在と本質が分離できる」ものなのだ。
それゆえ、「存在と本質が分離できる」ことが普遍的で何にでも通用する原理だと思い込んでしまう。そうして、内実をまともに考慮することもなく、実体にもこの原理を適用してしまうわけだ。懐疑論者が、「全ては疑うことができる」と思い込み、それを第一原理に置いていたように。「存在と本質が分離できないもの」が存在することは、実際には皆が認めていることである。ただ、先入観によってこの事実を認識できていないだけなのだ。
だから、神の存在証明を求める者に対して、アポステリオリな証明をしてもあまり意味がないのである。問いへの答え、という点では完璧だが、そもそも質問者は自分の質問の意味を分かっていないのだ。神の定義を知っていたなら、そもそもこのような無意味な質問をするわけがないからである。
したがって、定義の確認に過ぎないアプリオリな証明の方が、質問者への答えとしては適切で、問題意識に即したものになるのである。
デカルトの意図がそのようなものであることは、デカルト自身が述べている。少し見てみよう。

もっとも、この証明は、一見したところ、まったく平明であるとはいえず、むしろ詭弁であるかのようにも見える。それというのも、私は、神以外のすべてのものにおいて存在を本質から区別することに慣れているため、神の存在もまた神の本質から切り離されうるのだ、かくて神は存在しないものと考えられうるのだ、とたやすく信じてしまうからである。
これは、私の思惟によってもたらされる事態ではない。すなわち、私の思惟が事物に必然性を課するのではない。反対に、事がら自体の必然性が、すなわち、神の存在の必然性が、私を決定してそのように考えさせるのである。というのは、翼のある馬を想像することも翼のない馬を想像することも私の自由になるのとは違い、存在を欠いた神を考えることは私の自由にはならないからである。

私がどのような証明の理由を用いるにしても、つねに帰着するところは、私が明晰に判明に認識するもののみが私をまったく確信せしめる、ということなのである。そして、私がそのように認識するもののうちには、だれにも明瞭なものがあるけれども、しかしまた、もっと立ち入って考察し注意深く研究する人々によってしか発見されないものもある。
神についてはどうかといえば、もし私がいろいろな先入見によって心を曇らされていなかったなら、そして、感覚的事物の像が私の思惟をすっかり占領していなかったなら、神ほどすみやかに、もしくは神ほどたやすく、知られるものは、何もなかったはずである。なぜなら、最高の存在者があること、すなわち、その本質に存在が属するただ一つのものであるところの神が存在するということ、このこと以上に自明なことがほかにあろうか。

アプリオリな証明について、詭弁だ何だという者に対して、デカルトは次のように思ったはずだ。「コギトの過程ちゃんと理解しろ」「もう一度読み直せ」「読み飛ばすな」「先入観なんとかしろ」「理解したふりしてここまで読むな」
しかし、デカルトの注意にも関わらず、やはり後世の哲学者はデカルトの証明を誤解した。コギトの過程すら理解できなかった者が、アプリオリな神の存在証明の箇所だけを取り上げて、「万能で存在する性質を持っているものを想像すれば、それだけでそれが存在するようになる」証明だと解釈してしまったのだ。有名なところではカントがそうである。しかしそれは、『省察』をきちんと読んでいないか、あるいは読んでいても理解していないかのどちらかなのである。

スピノザ

スピノザは、デカルトの方法論を受け継いだ上で、デカルトを否定した哲学者である。
スピノザは、デカルトと同じ道をたどり実体概念にたどり着いた後、決定論に至る。あるのは自然のみであり、精神はその一部でしかない。精神が独自の原理であるかのように見えるのは、それを動かしている原因について無知だからに過ぎない、と。
その上でデカルトを批判するのだが、その際スピノザは次のように考える。自分とデカルトとは、実体概念にたどり着き、「唯一の実体が存在する」とした。ここまでが共通点である。その後デカルトは、それが物体的実体と精神的実体の二つを産出した、と言い出した。これが相違点である。この相違は、デカルトが実体概念について曖昧であることに起因するだろう。
そこで、スピノザはデカルトに対して総合的方法を使い、実体概念の明確化を行う。君は実体を、「他のものを要しない独自の原理で動くものである」と定義しているだろう。そしてそれは「複数性」とは矛盾するし、「実体が実体を産出する」ことなどありえないだろう、と。こうして実体概念について一々詰めていった上で、改めて「唯一の実体である神が存在する」という一致点を確認する。そうすると、デカルトは黙るしかなくなるのだ。
こうして、唯一の実体である神の存在を認めた時点で話は終わる。万物は神のうちに含まれており、他の実体は存在しない。精神もそのうちの一部でしかない。これは、神という語を使ってはいるが、決定論と同じだ。ただ、相手の言葉を使って議論をしたために、「神」という語が残ってしまうのである。

ライプニッツ

精神を複数認めることで生じる難問

ライプニッツは、デカルトと同じ方向性に進んだ哲学者である。
先のデカルトの理論には欠点があった。それは、精神を一つしか想定していないことである。精神を保持する人間は世界には多数存在する。それなのに、デカルトは「神、精神、物体」の三つの相互関係しか考察していないのだ。
だが、精神を複数認めてしまうと、いくつもの難問に突き当たることになる。例えば、個々の人間は、それぞれ独自の原理で動いているのに互いに影響しあっている。このことはどう説明されるのか。また、死後の世界についての説明が必要になる。人間は日々多数死んでいく。それが死後も残るとしたら、世界は精神で溢れてしまうのではないだろうか。それに、人間は多数生まれるが、それはどこから生じるのだろう。無から作られるのか、それとも別の場所から来るのだろうか。あと、植物や動物にも精神の存在を認めていいのだろうか。認めるとして、それと人間の精神との間に相違はあるのだろうか。

モナドと微小表象

ライプニッツは、これを微小表象というアイデアで克服しようとする。
表象とは、要はイメージのことである。目の前にコーヒーカップがあるとすればコーヒーカップの表象を、朝に食べたパンを思い出せばパンの表象を持つ、というように言えるわけだ。
この表象は、意識できないくらい微小な表象によって形成されている。それには、明確なもの、曖昧なもの、全く意識されないもの、というように各種の段階がある。起きている間は明確な表象を持つが、寝起き時や酩酊時には曖昧な表象しか持たない、というように。この微小表象が集まってできたのが人間精神である。私の精神がまずあり、そこから個々の表象が生じるのではない。逆なのだ。だから、今私が思い描いている表象は、もしかすれば私以外の誰かの精神を構成したかもしれない。もしかすればその誰かは、植物であったり動物であったかもしれないわけだ。
こうして、先の難問のいくつか解決できる。例えば死は、精神を構成する微小表象が非活発化した状態と定義できる。生と死の間には明確な違いはない。それは覚醒時と睡眠時の違いに近いものだろう。
また、人間と動物、植物との相違についても説明できる。どれも微小表象によって成り立っているという点では同じだが、その精神を構成する表象が明確か、曖昧かという点でのみ異なる。動物は人間よりは曖昧な表象を多く持っており、植物はさらに曖昧な表象を持っているわけである。
さらに、精神が死後どこに行くのか、という問題も解決する。あるのは微小表象のみであり、それは新たに創造されることも、消え去ることもない。私の精神を構成していた微小表象は、私の死後、また別の人間か、あるいは動物、植物の精神を構成することになるだろう。
こうして形成される精神は、モナドと呼ばれる。それが指し示す範囲は広く、人間以外に、動物、植物も含む。モナドとは、精神的実体が微小表象によって成り立っていると仮定した場合の呼び名なのである。
微小表象とは、つまりは微小物質のアナロジーである。物質が無数の微小物質によって構成されていると想定することにより、物質の複雑な運動を一様に説明することが可能になった。これと同じことを、ライプニッツは精神に適用しようとしたわけだ。もちろん微小表象はただの想定であり、確認できるものではない。だがそれは微小物質だって同じことじゃないか、というわけである。

微小表象を使っても説明がつかない箇所は、予定調和で説明する。神がモナドを想像した時、同時にその相互関係も考慮した。それは相互に影響を与えあっているように見えるが、それは実は見せかけであって、神がそう調整しているだけだ、という理論である。これにより、精神実体相互の関係という問題を解決するわけだ。

モナドロジー

こうしてできたのが『モナドロジー』だ。だが、この書物を見て、世界の真の姿を説明していると思う人はいないはずだ。空想家が頭の中で作り出した世界観の一つ、という以上の感想は持てないだろう。
これは、ライプニッツの能力の問題というよりは、そもそも精神に実体性を認めることが不可能だからだと思う。デカルトは、複数の精神という課題には踏み込まなかった。それは、踏み込めばどうしても、『モナドロジー』のように荒唐無稽なものにならざるを得ない、ということを知っていたからではないかと思う。

ロック

それゆえ、私の目指すところは、人間の真知の起源と絶対確実性と範囲を研究し、あわせて信念・臆見・同意の根拠と程度を研究することである。したがって、現在は心の物性的考察に立ち入らないだろう。すなわち、心の本質はどこに存するかとか、精気のどんな運動あるいは身体のどんな変化で、私たちはなにかの感覚を感官によって持つようになり、あるいはなにかの観念を知性に持つようになるかとか、また、この観念はその造られたるに当たって、そのどれかもしくは全部が物質に依存するかどうかとか、そうしたことの検討にわずらわされないだろう。(ロック『人間悟性論』)

デカルトの二元論を前提

スピノザ、ライプニッツはデカルトと同じ次元での話をしていた。これとは別に、デカルトの前提を受け入れた上で、人間の認識について扱おうという哲学者が出てくる。それがロックだ。
ロック自身は、自分は心の物性的考察に立ち入らないとしている。ただ、実際にはデカルトの二元論を前提としており、精神と物体の二つを観念の源泉として措定している。外なる物質的事物と、内なる心の作用の二つが存在し、それらがそれぞれ、私の心へ観念を与える。外的事物による観念は、「黄、白、熱い、冷たい、柔らかい、堅い、苦い、甘い」など。心の作用による観念は、「知覚、考えること、疑うこと、信ずること、推理すること、知ること、意志すること」など。これらを起源として、他の諸々の観念が生まれる。
したがって、諸々の観念が構成される様を見れば、どの観念が根拠のないもので、どの観念が真なるものかがわかるようになるはずだ。そして、人々の唱えている説のどれがただの臆見であり、どれが確実な真理かを判別できるようになるだろう、というのがロックの意図だ。
内容としては、デカルトの理論を認識論に応用したらそうなるだろう、というものでしかなく、読んで特に面白いものではない。

生得観念

ロックは生得観念に関する話もしている。これ自体は本筋とはあまり関係なく、当時なされていた議論について言及してみた、というものだ。生得観念の話自体は、今更考察する価値も特にない歴史的なものだが、教科書でロックの思想として取り上げられる「タブラ・ラサ」「経験論」という概念はこの箇所に由来している。少し見てみよう
生得観念とは、経験によらない観念のことである。例えば正義だとか真だとか神だとか、だ。生得観念の存在を信じるものは、次のように主張する。それらは、経験的に教えられることはない。だが、それらが何を意味するかについては各自が知っている。かつそれは、民族や宗教といった相違を超えて、すべての人類に共通しているように見える。よってそれは、生まれる以前から持っている観念なのだろう。

ロックによる批判

ロックは、生得観念があると主張する者にたいして、「そんなのあるわけないじゃないか」という議論をする。
まず、そもそも全人類が普遍的に同意するような原理なんて一つもない、と批判する。その例として、「有るものはすべて、有る」「或る事物が同時に有りかつ有らぬことは不可能である」という原理について取り上げる。

私は理論的原理から始めて、およそあるものはあると同じ事物があってあらぬことはできないというあの堂々とした論証原理を例にとろう。これらの原理は、とりわけて生得の資格を最も許されると私は考える。しかも私は率直に言うが、これらの命題は普遍的に同意されるどころでなく、人類の多くの部分には知られさえしないのである。なぜなら、第一、子どもや白痴は、明らかに、みんなこれらの原理をいささかも認知しないし、考えない。そして、認知されず考えられないことは、いっさいの生得原理に必ず伴わなければならない普遍的同意をまったくなくしてしまうものである。(『人間悟性論』)

さらに、道徳的な生得観念については

  • 悪いやつなんてそこらにいるし、正義や信義といったものが普遍的であるわけがない
  • そもそも、それらが普遍的ならば、それが存在するかどうかが問題になるわけがない

として否定する。
他に、神の概念すら民族によっては認められない場合があるのだから、生得観念なんてあるわけないだろ、という議論もする。

ライプニッツの批判

生得観念があると主張するものが、ロックの主張に対してどのように反論するのかについて、見てみよう。
ライプニッツは、ロックの『人間悟性論』に対して『人間悟性新論』を出して対抗した。この本は対話篇になっており、ロックの立場に立つフィラレートと、ライプニッツの立場に立つテオフィルが議論をするという構成になっている。
ロックの批判に対して、ライプニッツを代弁するテオフィルは次のように回答する。

  • 「有るものはすべて、有る」「或る事物が同時に有りかつ有らぬことは不可能である」といった真理について一致してない人もいるではないか→もちろんそのような人はいる。しかし生得観念は存在する
  • 生得観念が明確に刻まれているはずの子供に、それが認められないのはおかしくないか→生得観念は、子供においてすぐに認められるようなものではない。しかし生得観念は存在する
  • 実践的な生得観念はどうなるのか。盗賊などが道徳法則を持っているとは思えない→そいつらは生得観念を持っているが、常にそれを意識しているわけではない

このように、官僚答弁じみたことしか言わない。
ロックを代弁するフィラレートが、「その議論の仕方なら何でも言えますよね」と指摘したのに対する、テオフィルの返答が傑作だ。

フィラレート「でももしそんな反論が正しいとしたら、それは普遍的同意に基づいた証明というものを無にしてしまいますよ。多くの人々の推論は次のようになってしまいます。即ち、良識を持った人々が容認する原理は本有的である、私たちと私たちの味方は良識を持った人々である、それ故私たちの原理は本有的である、と。馬鹿げた推論の仕方ですよねえ。無謬性へと直結してしまいます。」
テオフィル「私はと言えば、普遍的同意を主要な論拠にはせず、確認のために用いています。(――中略――)それに、教養のある人々は野蛮人たちに比べて良識をより良く用いていると言われるだけの理由があるように私には思えます。なぜって、教養のある人々は野蛮人をまるで獣のように簡単に征服してしまうことによって十分にその優越性を示しているのです。」

ライプニッツは、「自分たちは野蛮人を叩きのめす暴力を持ってるから正しいんだ」以外の答えを持ち合わせていないのである。

経験論とタブラ・ラサ

ロックは生得観念を否定し、すべてが経験に起因すると主張した。かつ、そのようにして経験が刻まれる精神を、ロックは白板(タブラ・ラサ)に例えた。ロックを経験論者と呼び、その思想をタブラ・ラサで表すのはこれに由来する。
しかし、ロックの思想は「経験論」と「タブラ・ラサ」で代表させられるものではない。そもそも生得観念はロックの中心的な課題ではない。それに、無理なことを言っている生得観念に言及して「それは無理だよ」と示しただけであり、新しい思想を述べたわけでもない。
生得観念の話を念頭に置かない限り、経験論という言葉は内容のないものなのだ。デカルトの二元論を、認識において初めて適用した哲学者、くらいが哲学史的には正しい評価になるだろう。

大陸合理論とイギリス経験論は嘘

哲学史において、大陸合理論とイギリス経験論という言葉が出てくる。いわく、一方にデカルト-スピノザ-ライプニッツという大陸合理論があり、他方にロック-バークレー-ヒュームというイギリス経験論がある。この二つの別々の潮流を、カントが統合した、というように。
この区分は、実際には存在しないものだ。
まず、ロックはデカルトと並列する哲学者ではない。デカルトの二元論を受け継ぎ、それを認識に応用したのがロックだからだ。いわば、ロックはデカルトの弟子なのである。大陸合理論とイギリス経験論というように、並び立つ独自の二つの思想があったわけではないのである。
また、上で見たように、ロックの理論を経験論と呼ぶのは不適切である。イギリス経験論というのは、内容のない言葉なのだ。
それに、ロック-バークリー-ヒュームというくくりの正当性も怪しい。後に考察するが、ヒュームをロックの発展と見ることには無理がある。バークリーについては、そもそもロック、ヒュームと理論的なつながりがあるのかさえ怪しい。ロックとヒュームの中間の時代にいたイギリス人ということで、無理やり数合わせで入れられただけではないかと思っている。
では、なぜ大陸合理論とイギリス経験論という区分が哲学史の教科書に載っているかというと、カントがそのように主張したからである。これについては、後にカントの章で考察しよう。

バークリー

バークリーは、物体が実在しないことを示すことで、懐疑論と無神論を否定しようとする。
物体の存在を前提すると、それが我々の観念と一致するのか、という認識論的な問題が生じる。この一致を示すことは不可能であるため、それは結局懐疑論に行き着く。
また、物体の存在を前提すると、何が起こるかは物体によって全て決まるという決定論に行き着く。ここでは神を想定する必要もなくなり、無神論に陥ることになる。
そこで、物体が実在しないことを証明して、懐疑論と無神論の両方を否定しようとするわけだ。

存在することは知覚されることである

バークリーが物体が実在しない根拠としてあげるのは、「我々が認識するのは個々の観念のみであり、物体それ自体を認識することが決して無い」ということである。

およそ天の群れと地の備えとの一切は、一言でいえば世界の巨大な仕組みを構成するすべての物体は、心の外に少しも存立しなく、物体の在ることは知覚されること、すなわち知られること、であり、従って、物体が私によって現実に知覚されないとき、換言すれば私の心に存在しないとき、或いはまた、他のなんらかの被造的な精神の心に存在しないとき、それら物体は全く存在しないか、もしくは在る永遠な精神の心のうちに存立するか、そのいずれかでなければならないのである。(6)

『人知原理論』は、「観念以外の形で物体とか認識できないだろ?」「外的に存在する物体だとかいったって、それも観念だろ?」とひたすら繰り返すだけの内容になっている。バークリーが想定した個々の反論に答えたり、ニュートンの批判をしたりしているが、理屈は全て同じである。この主張に出くわしたら、後は同じことを言ってるだけだから、うんざりしたらそこで本を閉じても問題はない。バークリー自身、俺は同じことしか言ってないと本文中で言ってるくらいだ。

一たい、私は外的実体というこの主題を扱うに当って不必要に冗漫だと考えられる理由を与えてしまわなかったか。この点を恐れる。なぜなら、少しでも内省できる者に向かってなら一二行でこの上なく明証的に論証できることを、なんの目的のためにくどく述べるのか。一二行で論証できること、それはただ、物質の存在を主張する諸君が自分自身の思想を覗き込んで、音や形状や運動や色彩が心のうちに、すなわち知覚されずに、存在すると想うことができるかどうか、試して見るだけのことなのである。(22)

では我々が持つ知覚は何なのだという話になるが、それは神によって刻印されたものだ、と説明する。

一たい、感官の観念は想像の観念より強く、生気に富み、判明である。同様に、前者は定常性と秩序と整合性とを有し、人間の意志の結果である観念がしばしば乱雑に喚起されるようには乱雑に喚起されなく、規則正しい系列ないし序列において喚起される。こうした系列ないし序列の賛嘆すべき結合は、その造り主の智慧と仁愛を十分に誇示するものである。(30)

イギリス経験論か?

問題意識もロックやヒュームとは異なるし、認識過程の分析も雑だ。バークリーをイギリス経験論の系譜に含めることには無理があるのだ。懐疑論と無神論という、当時問題になっていたことを解決するために、一見突飛な主張をした聖職者、くらいが哲学史的位置づけとして妥当ではないだろうか。

ヒューム

ロックはデカルトを前提とした議論をしていた。ロック自身は、自分は心の物性的考察に立ち入らないとしている、といってるがそれは言葉だけなのだ。だが、この事情を知らず、ロックの言葉を鵜呑みにした哲学者がいる。それがヒュームだ。

精神中心の二元論

ヒュームはロックと違い、物体から得る観念を認めない。我々が認識するのは心に浮かぶ観念のみだ。その観念は、静的なものと、勢いよく入り込むものとの二つに分けられる。この後者によって、外的対象の存在が意識されるとする。
この前提のもと、精神に現れる諸々の観念がどのように動き、どのような仕方で複雑な観念が生じるかを観察しよう。そうすれば、諸々の学問が使っている観念が、何を基礎としたものかもわかるだろう。これにより、諸々の観念を無批判に使っている諸学問の基礎づけが実現できるだろう。これがヒュームの意図である。
だが、因果律でヒュームは躓く。何十ページも使って考察しても、切り込み方を何度もかえて取り組んでも、どうしても因果律を導くことができない。しかし、因果律を使わない学問など存在しない。ヒュームの試みは挫折したどころか、学問は全く何の基礎も持たないことが明らかになってしまった。結局ヒュームは「世の中には楽しいことがたくさんあるんだし、こんなこと気にしないでおこうぜ」と言い出して、議論を放り出してしまう。

ヒュームの限界

デカルトの箇所で見たように、精神が実体であることも、それが物体に優位することも自明ではない。外的刺激のない場所にとどまるならばこの立場は成り立つのかもしれないが、そこから一歩外に踏み出せば、それを否定する経験はいくらでもあるわけだ。だからデカルトは神の存在証明を行った。スピノザ、ライプニッツも同じ問題意識を持ち、この問題に取り組んだ。ロックもこの事情を知った上で、デカルトに乗っかって認識論に取り組んだのである。
しかし、ヒュームにはこのような考察はない。外部の物体が存在するのか、それと我の精神はどう関係するか、という問題に取り組む段階に至っていない。「精神が先でしょ」という素朴な意識しか持ち合わせていないのだ。
デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ロックは暖炉の前から立ち上がり、外に出て考察を行った。ヒュームは未だ、部屋の中にこもったままだ。暖炉の側で微睡みながら、自分の頭の中だけで諸学問を構築できると思い込み、それを試みた。そして当然のように失敗したわけである。
哲学史に通じてない素人が、ロックに触発されて書き、途中で投げ出した書物が『人間本性論』である。ロックは退屈だったが、筋が通ってなくはなかった。ヒュームは、ロックから退屈さを受け継いでいるだけでなく、思い上がりと独断を付け加えている。読むのにはかなりの忍耐を要するだろう。
しかし、ヒュームは哲学史に残ることになった。カントがヒュームに「独断の微睡み」を破られ、『純粋理性批判』を書いたからである。

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