一時間でわかる近世哲学史

デカルト

Rene Descartes 1596 - 1650

懐疑の構造

デカルトは、確実なものを見つけるために懐疑を行う。その際、少しでも疑いうるものは偽と判断する、徹底的な態度を取る。

日常的な感覚に基づく判断からはじめ、身体的感覚、数学的真理と順に疑う。これらについては、それぞれ疑う理由を見出すことができた。だが、「我の存在」についてはそれができなかった。こうして「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という境地に至る。『省察』はこのような構成になっている。

これを説得力のある議論だと思う人は少ないはずだ。「デカルトが頭の中で考えてそうなっただけでしょ」「やろうと思えばそれも否定できるんじゃないの」と思うのではないだろうか?だが、それは間違いだ。

デカルトの懐疑の真意を知るためには、デカルトが誰を対象に、どのような方法を用いて議論したのかを知っておく必要がある。対象者は「すべてについて疑うことができる」と自負する懐疑論者であり、方法は「相手の用いる言葉と、相手の認める原理のみを用いて一致を積み重ねる」総合的方法である。

この観点で、先の議論を見直してみよう。

  • デカルト「遠くから見たら四角い塔が、近くにいったら実は丸かったということがあるだろう。したがって日常的な感覚に基づく判断は信用できないのだ」
  • 懐疑論者「そのとおりだ」
  • デカルト「服を着ている、紙を手にしているといった身体的感覚については、確実だと思うかもしれない。だが、夢においてはそれは偽でありえる。したがって身体的感覚も疑わしい」
  • 懐疑論者「そのとおりだ」
  • デカルト「2+3=5といった数学的真理については、夢でも疑えないと思うかもしれない。しかし、もしかすると欺く神が存在して、私が計算するたびに一々私の精神に作用し、判断を誤らせているかもしれない。したがって、数学的真理も疑わしいと言える」
  • 懐疑論者「君もなかなかやるね、デカルト君!」

このように、しつこく実例と確認を積み上げたうえで、デカルトは次のように懐疑論者に問いかける。

私達は三つの懐疑を順番に行ってきたが、そこで実際に行っていたことは「提示された主張に対して、それに反する事物を想定する」ことではなかっただろうか。すなわち、日常的な感覚に基づく判断には「過去に誤った例」を、身体的感覚には「夢」を、数学的真理には「欺く神」を、というように。懐疑は無条件に行えるものではない。提示された主張を否定する事物を頭の中で思い浮かべ、その上で「私はこれについて疑う」と言っていたのである。逆に言えば、否定する事物を想起できないものについては、それが真だと認めていることになるわけだ。

  • デカルト「さて、今までの例からも分かるように、懐疑という行為が実際に意味しているのは、その反対事物を想起する、ということではないか。それとも君は、そうでない懐疑をしたことがあるかね」
  • 懐疑論者「……」
  • デカルト「ならば、反対事物を想起できないものについては、君も真だと認めているということではないかね。君の懐疑は、何にでも通用する第一原理では決してない。その使用に際して注意を払っていなかったから、第一原理だと思い込んでいたにすぎない」
  • 懐疑論者「……」

一々例を挙げ、丁寧に懐疑を行ったのは、相手の逃げ道をなくすためだったのである。このような仕方で議論をすると、相手は反論をすることが構造的にできない。先に自分が同意したことと矛盾してしまうからである。導かれた結果が自分にとって不都合なものであったとしても、それに対して不同意を示せば次のように言われてしまうだろう。

  • 「私達は、懐疑が実際にはどのようなものかを、実例を見ながら丁寧に考察してきたではないか。それについてあなたは一々同意していたではないか。それなのに今更、懐疑が何かについて問題にしようというのか?」「さっきまでしていた議論がどんなものだったかを君が忘れたというのなら、もう一度やってあげようか?そこで、私がどのような例を出し、君がどんな風にそれに同意したかを再現してあげよう」「私達が行った懐疑のうち、どれを認めて、どれを認めないのか言ってくれるかい?三つしか懐疑はしてないんだ、指摘できるだろう?」「反対概念を想起しない懐疑があるというのなら、その実例を挙げてくれないかな?」「あなたは懐疑の内実について何も考えておらず、口先だけで懐疑すると言っているんじゃないか?」

我思う故に我あり

そして最後に、我の存在が確かなものであるという同意を、懐疑論者から奪取する。

デカルト「では、考えている限りにおいての我、について考えてみよう。ここまで一致してきたことからして、もし君が「我の存在」を疑うなら、それに反する事物を想定しなければならない。君は、そのようなものを挙げることができるだろうか。「過去に誤った経験」でも、「夢」でも、「欺く神」でも、その他何でもいい。もしできたなら、それが何かを具体的に言ってくれ。もしできないなら、「我の存在」は真だと君も認めていることになるね?」

明晰判明の規則

また、この過程により「反対事物を想起できないものは真である」が第一原理の座を得ることになる。これは、明晰判明の規則と呼ばれる。これまで、懐疑論者が「すべては疑いうる」を第一の原理としていたのは、懐疑の内容について真面目に考察しなかったことに由来する勘違いでしかない。懐疑論者は、懐疑が実際に何を意味するかも知らず、口先で「私は疑う」と言っていただけだったのである。

神の存在証明

これで話が終わったのならスッキリするのだが、そうはいかない。なぜなら、「我の存在」は実際は脆弱で、すぐに否定されてしまうからだ。

デカルトは一室に閉じこもり、数日を通して暖炉の前に座って省察をし、我の存在を証明した。たしかに上の議論は、外的なものに全く邪魔されないそうした状況ならば、通用するかもしれない。だが、一歩外に出たらどうだろう。冷たい外気が体を震わせ、体調の悪化が意識させられる。生活の糧を稼ぐために他者や組織と接する必要があり、そこで従属を強いられる。自己を否定しうる、自己と異なる原理に従うものの総体、すなわち自然全体に出会うのである。

先の過程で導かれた「我」は、その本性について考えたときに、そこから存在を切り離して考察することができないものである。このようなものは、実体と定義される。今、意識されている自然全体についても、それが実体であると認めざるを得ないだろう。

さらにこれは、「我」と「自然全体」の相互関係の考察に至るだろう。我は、自然全体の内部にあり、それに従属するものなのではないだろうか。我を実体と判断したのは、自然全体を意識しなくても済む、特殊な環境下にいたからに過ぎないのではないか。我を実体としたのは不当な普遍化であり、ただの勘違いではないか。こうした考察に至るのである。

この問題を解決するために必要になるのが、神の存在証明だ。

我と自然全体という二つの実体の上位に、同じく実体性を持つものが存在し、それがこの両者を産出した。そしてそのあとも、両者の併存を可能にしている。こう考えれば、矛盾は解消される(ように見えるかもしれない)。その上位の実体を、デカルトは神と名付けるわけだ。

神の存在証明を一度してしまえば、たとえ暖炉の側を離れ、外に飛び出し、自分を否定し得る自然全体を意識しても、我の実体性を否定しなくて済む。「確かに私はそこに含まれるように見えるかもしれないし、それに否定されえるように見えるかもしれない。でもね、それはそう見えるだけなんだよ」と言って合理化できるわけだ。

心身二元論

この神の存在証明の鍵になるのが、心身二元論である。

デカルトは物体を貶め、それが精神から生み出されたものだと主張する。

物体的事物の観念において明晰かつ判明であるもののうち、若干のもの、すなわち、実体、持続、数、その他これに類するものは、私自身の観念からとりだされたように思われる。

また、精神と物体とが全く異なったものであり、精神の微細な作用を物体は生み出すことができないと主張する。

そして私は、両親とか、神ほど完全ではない何か他の原因によって、生み出されたのかもしれない。いな、けっしてそうではないのである。(中略)私の原因として結局、どのようなものがわりあてられるとしても、それはまた考えるものであり、私が神に帰するすべての完全性を有するものである、と認めなくてはならないのである。

こうして、精神と物体とは全く別物であり、かつ物体は精神に劣ったものだという二元論を受け入れさせる。すると、精神が自然全体の一部であるわけがないし、従属的なものでもない、となるわけだ。我の不完全性の意識から、自然全体を唯一の実体として確信する過程が歪められ、

  • 我は不完全である→自然全体が唯一の実体であり、我はその一部である

が成り立たなくなる。そして、

  • 我は不完全である→だが自然全体はその原因ではない→上位の実体である神が存在する

という仕方で、神の存在が証明されるわけである。

神の存在論的証明

心身二元論に基づくアポステリオリな神の存在証明とは別に、デカルトは「存在論的証明」あるいは「アプリオリな証明」と哲学史において呼ばれる証明をしている。哲学史的に取り上げられるのは、ほぼこの証明だ。その内容を見てみよう。

確かに私は、神の観念を、すなわち最も完全な存在者の観念を、どんな形の観念、あるいはどんな数の観念にも劣らず、私のうちに発見するのである。さらに私は、つねに存在するということが神の本性に属することを、あるいは形もしくは数について私の論証することが、その形もしくはその数の本性に属することを理解する場合に劣らず、明晰にかつ判明に理解するのである。

神の本性には存在が含まれるから、神は存在するという証明だ。

ここまでの考察を追ってきた者にとっては、「何を今更」という印象を持つだろう。「我思う故に我あり」を導いた段階で、我の本性が存在を含むものであることを証明したではないか。そのあともずっと、「本性が存在を含むもの」すなわち実体についての話をしていたではないか。その話を前提にして神についての考察をしていたのに、いまさらそんな定義段階の話をして何の意味があるんだ。このように思うはずである。

しかし、神の存在証明を求める者への回答としては、アプリオリな証明の方が、アポステリオリな証明よりも問題意識に適っているのだ。だからデカルトは、わざわざこの証明を追加しているのである。

神の存在を疑う者がいるのはなぜか。それは、アポステリオリな証明を知らないからではない。実体を諸事物と混同しているからである。我々は、犬、猫、人間、植物、椅子、机などといった諸事物に囲まれている。それらは、移ろい、複数で、消滅する、という共通点を持ち、それゆえ存在しない状態を考えることも容易である。例えば犬であれば、それが産まれる前の状況なり、死んだあとの状況なりを想起することができるだろう。これは、猫でも、椅子でも、机でも、何にでも共通する。我々は普段関わるのは、そのような「存在と本質が分離できる」ものなのだ。

それゆえ、「存在と本質が分離できる」ことが普遍的で何にでも通用する原理だと思い込んでしまう。そうして、内実をまともに考慮することもなく、実体にもこの原理を適用してしまうわけだ。懐疑論者が、「全ては疑うことができる」と思い込み、それを第一原理に置いていたように。「存在と本質が分離できないもの」があることは、実際には皆が認めていることである。ただ、先入観によってこの事実を認識できていないだけなのだ。

だから、神の存在証明を求める者に対して、アポステリオリな証明をしてもあまり意味がないのである。問いへの答え、という点では完璧だが、そもそも質問者は自分の質問の意味を分かっていないのだ。神の定義を知っていたなら、このような無意味な質問をするわけがないからである。

したがって、定義の確認に過ぎないアプリオリな証明の方が、質問者への答えとしては適切で、問題意識に即したものになるのである。

デカルトの意図がそのようなものであることは、デカルト自身が述べている。少し見てみよう。

もっとも、この証明は、一見したところ、まったく平明であるとはいえず、むしろ詭弁であるかのようにも見える。それというのも、私は、神以外のすべてのものにおいて存在を本質から区別することに慣れているため、神の存在もまた神の本質から切り離されうるのだ、かくて神は存在しないものと考えられうるのだ、とたやすく信じてしまうからである。
これは、私の思惟によってもたらされる事態ではない。すなわち、私の思惟が事物に必然性を課するのではない。反対に、事がら自体の必然性が、すなわち、神の存在の必然性が、私を決定してそのように考えさせるのである。というのは、翼のある馬を想像することも翼のない馬を想像することも私の自由になるのとは違い、存在を欠いた神を考えることは私の自由にはならないからである。

私がどのような証明の理由を用いるにしても、つねに帰着するところは、私が明晰に判明に認識するもののみが私をまったく確信せしめる、ということなのである。そして、私がそのように認識するもののうちには、だれにも明瞭なものがあるけれども、しかしまた、もっと立ち入って考察し注意深く研究する人々によってしか発見されないものもある。
神についてはどうかといえば、もし私がいろいろな先入見によって心を曇らされていなかったなら、そして、感覚的事物の像が私の思惟をすっかり占領していなかったなら、神ほどすみやかに、もしくは神ほどたやすく、知られるものは、何もなかったはずである。なぜなら、最高の存在者があること、すなわち、その本質に存在が属するただ一つのものであるところの神が存在するということ、このこと以上に自明なことがほかにあろうか。

アプリオリな証明を詭弁だ何だという者に対して、デカルトは次のように思ったはずだ。「コギトの過程ちゃんと理解しろ」「もう一度読み直せ」「読み飛ばすな」「先入観なんとかしろ」「理解したふりしてここまで読むな」

しかし、デカルトの注意にも関わらず、やはり後世の哲学者はデカルトの証明を誤解した。コギトの過程すら理解できなかった者が、アプリオリな神の存在証明の箇所だけを取り上げて、「万能で存在する性質を持っているものを想像すれば、それだけでそれが存在するようになる」証明だと解釈してしまったのだ。有名なところでは、カントがそうである。しかしそれは、『省察』をきちんと読んでいないか、あるいは読んでいても理解していないかのどちらかなのである。

スピノザ

Baruch De Spinoza 1632 - 1677

スピノザは、デカルトの方法論を受け継いだ上で、デカルトを否定した哲学者である。

スピノザは、デカルトと同じ道をたどり実体概念にたどり着いた後、決定論に至る。あるのは自然のみであり、精神はその一部でしかない。精神が独自の原理であるかのように見えるのは、それを動かしている原因について無知だからに過ぎない、と。

その上でデカルトを批判するのだが、その際スピノザは次のように考える。自分とデカルトとは、実体概念にたどり着き、「唯一の実体が存在する」とした。ここまでが共通点である。その後デカルトは、それが物体的実体と精神的実体の二つを産出した、と言い出した。これが相違点である。この相違は、デカルトが実体概念について曖昧であることに起因するだろう。

そこで、スピノザはデカルトに対して総合的方法を使い、実体概念の明確化を行う。君は実体を、「他のものを要しない独自の原理で動くものである」と定義しているだろう。そしてそれは「複数性」とは矛盾するし、「実体が実体を産出する」ことなどありえないだろう、と。こうして実体概念について一々詰めていった上で、改めて「唯一の実体である神が存在する」という一致点を確認する。そうすると、デカルトは黙るしかなくなるのだ。

こうして、唯一の実体である神の存在を認めた時点で話は終わる。万物は神のうちに含まれており、他の実体は存在しない。精神もそのうちの一部でしかない。これは、神という語を使ってはいるが、決定論と同じだ。ただ、「相手の用いる言葉と、相手の認める原理のみを用いて一致を積み重ねる」総合的方法を使ったために、デカルトが用いた「神」という言葉が残ってしまったのである。

ライプニッツ

Gottfried Wilhelm Leibniz 1646 - 1716

精神を複数認めることで生じる難問

ライプニッツは、デカルトの理論を引き継ぎ、それを先に進めた哲学者である。

先のデカルトの理論には欠点があった。それは、精神を一つしか想定していないことである。精神を保持する人間は世界には多数存在する。それなのに、デカルトは「神、精神、物体」の三つの相互関係しか考察していないのだ。

だが、精神を複数認めてしまうと、いくつもの難問に突き当たることになる。例えば、個々の人間は、それぞれ独自の原理で動いているのに互いに影響しあっている。このことはどう説明されるのか。また、死後の世界についての説明が必要になる。人間は日々多数死んでいく。それが死後も残るとしたら、世界は精神で溢れてしまうのではないだろうか。それに、人間は多数生まれるが、それはどこから生じるのだろう。無から作られるのか、それとも別の場所から来るのだろうか。あと、植物や動物にも精神の存在を認めていいのだろうか。認めるとして、それと人間の精神との間に相違はあるのだろうか。

モナドと微小表象

ライプニッツは、これを微小表象というアイデアで克服しようとする。

表象とは、要はイメージのことである。目の前にコーヒーカップがあるとすればコーヒーカップの表象を、朝に食べたパンを思い出せばパンの表象を持つ、というように言えるわけだ。

この表象は、意識できないくらい微小な表象によって形成されている。それには、明確なもの、曖昧なもの、全く意識されないもの、というように各種の段階がある。起きている間は明確な表象を持つが、寝起き時や酩酊時には曖昧な表象しか持たない、というように。この微小表象が集まってできたのが人間精神である。私の精神がまずあり、そこから個々の表象が生じるのではない。逆なのだ。だから、今私が思い描いている表象は、もしかするとかつて誰かの精神を構成していたものなのかもしれない。その誰かとは人間に限らず、動物や植物である可能性もあるわけだ。

このように想定すると、先の難問を解決することができる。例えば死は、精神を構成する微小表象が非活発化した状態と定義できる。生と死の間には明確な違いはない。それは覚醒時と睡眠時の違いに近いものだろう。

また、人間と動物、植物との相違についても説明できる。どれも微小表象によって成り立っている点では同じだが、その精神を構成する表象が明確か、曖昧かという点で異なる。動物は人間よりも曖昧な表象を多く持っており、植物はさらに曖昧な表象を持っているわけである。

さらに、精神が死後どこに行くのか、という問題も解決する。あるのは微小表象のみであり、それは新たに創造されることも、消え去ることもない。私の精神を構成していた微小表象は、私の死後、また別の人間か、あるいは動物、植物の精神を構成することになるだろう。

こうして形成される精神は、モナドと呼ばれる。それが指し示す範囲は広く、人間以外に、動物、植物も含む。モナドとは、精神的実体が微小表象によって成り立っていると仮定した場合の呼び名なのである。

微小表象とは、つまりは微小物質のアナロジーだ。物質が無数の微小物質によって構成されていると想定することにより、物質の複雑な運動を一様に説明することが可能になった。これと同じことを、ライプニッツは精神に適用しようとしたわけだ。もちろん微小表象はただの想定であり、確認できるものではない。だがそれは微小物質だって同じことじゃないか、というわけである。

微小表象を使っても説明がつかない箇所は、予定調和で説明する。神がモナドを創造した時、同時にその相互関係も考慮した。それは相互に影響を与えあっているように見えるが、それは実は見せかけであって、神がそう調整しているだけだ、という理論である。これにより、精神実体相互の関係という問題を解決するわけだ。

モナドロジー

こうしてできたのが『モナドロジー』だ。だが、この書物を見て、世界の真の姿を説明していると思う人はいないはずだ。空想家が頭の中で作り出した世界観の一つ、という以上の感想は持てないだろう。

これは、ライプニッツの能力の問題というよりは、そもそも精神に実体性を認めることが不可能だからだと思う。デカルトは、複数の精神という課題には踏み込まなかった。それは、踏み込めばどうしても、『モナドロジー』のように荒唐無稽なものにならざるを得ない、ということを知っていたからではないかと思う。

ロック

John Locke、1632 - 1704

それゆえ、私の目指すところは、人間の真知の起源と絶対確実性と範囲を研究し、あわせて信念・臆見・同意の根拠と程度を研究することである。したがって、現在は心の物性的考察に立ち入らないだろう。すなわち、心の本質はどこに存するかとか、精気のどんな運動あるいは身体のどんな変化で、私たちはなにかの感覚を感官によって持つようになり、あるいはなにかの観念を知性に持つようになるかとか、また、この観念はその造られたるに当たって、そのどれかもしくは全部が物質に依存するかどうかとか、そうしたことの検討にわずらわされないだろう。

デカルトの二元論を前提

スピノザ、ライプニッツはデカルトと同じ次元での話をしていた。これとは別に、デカルトの前提を受け入れた上で、人間の認識について扱おうという哲学者が出てくる。それがロックだ。

ロック自身は、自分は心の物性的考察に立ち入らないとしている。ただ、実際にはデカルトの二元論を前提としており、精神と物体の二つを観念の源泉として措定している。外なる物質的事物と、内なる心の作用の二つが存在し、それらがそれぞれ、私の心へ観念を与える。外的事物による観念は、「黄、白、熱い、冷たい、柔らかい、堅い、苦い、甘い」など。心の作用による観念は、「知覚、考えること、疑うこと、信ずること、推理すること、知ること、意志すること」など。これらを起源として、他の諸々の観念が生まれる。

したがって、諸々の観念が構成される様を見れば、どの観念が根拠のないもので、どの観念が真なるものかがわかるようになるはずだ。そして、人々の唱えている説のどれがただの臆見であり、どれが確実な真理かを判別できるようになるだろう。これがロックの意図だ。

内容としては、デカルトの理論を認識論に応用したらそうなるだろう、というものでしかなく、読んで特に面白いものではない。

生得観念

ロックは生得観念に関する話もしている。生得観念の話自体は、今更考察する価値もない歴史的なものである。それに、ロックも当時話題になってる議論だったから言及したというだけであり、本筋とはあまり関係がない。だが、教科書でロックの思想として取り上げられる「経験論」「タブラ・ラサ」はこの箇所に由来している。少し見てみよう
生得観念とは、経験によらない観念のことである。正義、真、神、といった観念がその例として挙げられる。生得観念の実在を信じるものは、次のように主張する。それらは、経験的に教えられる観念ではない。なのに、それらの観念が意味するところについて、すべての人が知っている。かつそれは、民族や宗教といった相違を超えて、すべての人類に共通しているように見える。よってそれは、生まれる以前から持っている観念なのだろう。

ロックによる批判

ロックは、生得観念があると主張する者にたいして、「そんなものがあるわけがないじゃないか」という議論をする。

まず、そもそも全人類が普遍的に同意するような原理など一つもない、と批判する。その例として、「有るものはすべて、有る」「或る事物が同時に有りかつ有らぬことは不可能である」という原理について取り上げる。

私は理論的原理から始めて、およそあるものはあると同じ事物があってあらぬことはできないというあの堂々とした論証原理を例にとろう。これらの原理は、とりわけて生得の資格を最も許されると私は考える。しかも私は率直に言うが、これらの命題は普遍的に同意されるどころでなく、人類の多くの部分には知られさえしないのである。なぜなら、第一、子どもや白痴は、明らかに、みんなこれらの原理をいささかも認知しないし、考えない。そして、認知されず考えられないことは、いっさいの生得原理に必ず伴わなければならない普遍的同意をまったくなくしてしまうものである。

さらに、道徳的な生得観念については

  • 悪いやつなんてそこらにいるし、正義や信義といったものが普遍的であるわけがない
  • そもそも、それらが普遍的ならば、それが存在するかどうかが問題になるわけがない

として否定する。

他に、民族によっては神の観念すら認められない場合があるのだから、生得観念なんてあるわけないだろ、という議論もする。

ライプニッツの批判

生得観念の存在を肯定するものが、ロックに対してどう反論するのかを見てみよう。

ライプニッツは、ロックの『人間悟性論』に対して『人間悟性新論』を出して対抗した。この本は対話篇になっており、ロックの立場に立つフィラレートと、ライプニッツの立場に立つテオフィルが議論をするという構成になっている。

ロックの批判に対して、ライプニッツを代弁するテオフィルは次のように回答する。

-「有るものはすべて、有る」「或る事物が同時に有りかつ有らぬことは不可能である」といった真理について一致してない人もいるではないか→もちろんそのような人はいる。しかし生得観念は存在する

  • 生得観念が明確に刻まれているはずの子供に、それが認められないのはおかしくないか→生得観念は、子供においてすぐに認められるようなものではない。しかし生得観念は存在する
  • 実践的な生得観念はどうなるのか。盗賊などが道徳法則を持っているとは思えない→そいつらは生得観念を持っているが、常にそれを意識しているわけではない

このように、官僚答弁じみたことしか言わない。

ロックを代弁するフィラレートが、「その議論の仕方なら何でも言えますよね」と指摘したのに対する、テオフィルの返答が傑作だ。

フィラレート「でももしそんな反論が正しいとしたら、それは普遍的同意に基づいた証明というものを無にしてしまいますよ。多くの人々の推論は次のようになってしまいます。即ち、良識を持った人々が容認する原理は本有的である、私たちと私たちの味方は良識を持った人々である、それ故私たちの原理は本有的である、と。馬鹿げた推論の仕方ですよねえ。無謬性へと直結してしまいます。」
テオフィル「私はと言えば、普遍的同意を主要な論拠にはせず、確認のために用いています。(中略)それに、教養のある人々は野蛮人たちに比べて良識をより良く用いていると言われるだけの理由があるように私には思えます。なぜって、教養のある人々は野蛮人をまるで獣のように簡単に征服してしまうことによって十分にその優越性を示しているのです。」

ライプニッツは、「自分たちは野蛮人を叩きのめす暴力を持ってるから正しいんだ」以外の答えを持ち合わせていないのである。

経験論とタブラ・ラサ

ロックは生得観念を否定し、すべてが経験に起因すると主張した。かつ、そのようにして経験が刻まれる精神を、白板(タブラ・ラサ)に例えた。ロックを経験論者と呼び、その思想をタブラ・ラサで表すのはこれに由来する。

しかし、そもそも生得観念はロックの中心的な課題ではない。それに、無理なことを言っている生得観念論者に言及して「それは無理だよ」と示しただけであり、新しい思想を提示したわけでもない。ロックの思想は「経験論」と「タブラ・ラサ」で代表させられるものではないのだ。

大陸合理論とイギリス経験論は嘘

哲学の教科書において、大陸合理論とイギリス経験論という言葉が出てくる。いわく、一方にデカルト-スピノザ-ライプニッツという大陸合理論があり、他方にロック-バークリー-ヒュームというイギリス経験論がある。この二つの別々の潮流を、カントが統合した、というように。

大陸合理論とイギリス経験論という区分は、実際には存在しないものだ。

まず、ロックはデカルトと並列する哲学者ではない。デカルトの二元論を受け継ぎ、それを認識論に応用したのがロックだからだ。いわば、ロックはデカルトの弟子なのである。大陸合理論とイギリス経験論というように、並び立つ独自の二つの思想があったわけではないのである。

また、上で見たように、ロックの理論を経験論と呼ぶのは不適切である。イギリス経験論というのは、内容のない言葉なのだ。

それに、ロック-バークリー-ヒュームというくくりの正当性も怪しい。後に考察するが、ヒュームをロックの発展と見ることには無理がある。バークリーについては、そもそもロック、ヒュームと理論的なつながりがあるのかさえ怪しい。ロックとヒュームの中間の時代にいたイギリス人ということで、無理やり数合わせで入れられただけではないかと私は思っている。

ではなぜ、大陸合理論とイギリス経験論という区分が教科書に載っているかというと、「カントが近世哲学を総括した」という主張を正当化するため、カント学者が事実を捻じ曲げたからである。カントの妥当性については、後に考察しよう。

バークリー

George Berkeley、1685 - 1753

バークリーは、物体が実在しないことを示すことで、懐疑論と無神論を否定しようとする。

物体の存在を前提すると、それが我々の観念と一致するのか、という認識論的な問題が生じる。この一致を示すことは不可能であるため、それは結局懐疑論に行き着く。
また、物体の存在を前提すると、何が起こるかは物体によって全て決まるという決定論に行き着く。ここでは神を想定する必要もなくなり、無神論に陥ることになる。
そこで、物体が実在しないことを証明して、懐疑論と無神論の両方を否定しようとするわけだ。

存在することは知覚されることである

バークリーが物体が実在しない根拠としてあげるのは、「我々が認識するのは個々の観念のみであり、物体それ自体を認識することが決して無い」ということである。

およそ天の群れと地の備えとの一切は、一言でいえば世界の巨大な仕組みを構成するすべての物体は、心の外に少しも存立しなく、物体の在ることは知覚されること、すなわち知られること、であり、従って、物体が私によって現実に知覚されないとき、換言すれば私の心に存在しないとき、或いはまた、他のなんらかの被造的な精神の心に存在しないとき、それら物体は全く存在しないか、もしくは在る永遠な精神の心のうちに存立するか、そのいずれかでなければならないのである。

『人知原理論』は、「観念以外の形で物体とか認識できないだろ?」「外的に存在する物体だとかいったって、それも観念だろ?」とひたすら繰り返すだけの内容になっている。バークリーが想定した個々の反論に答えたり、ニュートンの批判をしたりしているが、理屈は全て同じである。この主張に出くわしたら、後は同じことを言ってるだけだから、うんざりしたらそこで本を閉じても問題はない。バークリー自身、私は同じことしか言ってないと本文中で言ってるくらいだ。

一たい、私は外的実体というこの主題を扱うに当って不必要に冗漫だと考えられる理由を与えてしまわなかったか。この点を恐れる。なぜなら、少しでも内省できる者に向かってなら一二行でこの上なく明証的に論証できることを、なんの目的のためにくどく述べるのか。一二行で論証できること、それはただ、物質の存在を主張する諸君が自分自身の思想を覗き込んで、音や形状や運動や色彩が心のうちに、すなわち知覚されずに、存在すると想うことができるかどうか、試して見るだけのことなのである。

では我々が持つ知覚は何なのだという話になるが、それは神によって刻印されたものだ、と説明する。

一たい、感官の観念は想像の観念より強く、生気に富み、判明である。同様に、前者は定常性と秩序と整合性とを有し、人間の意志の結果である観念がしばしば乱雑に喚起されるようには乱雑に喚起されなく、規則正しい系列ないし序列において喚起される。こうした系列ないし序列の賛嘆すべき結合は、その造り主の智慧と仁愛を十分に誇示するものである。

イギリス経験論か?

問題意識もロックやヒュームとは異なるし、認識過程の分析も雑だ。バークリーをイギリス経験論の系譜に含めることには無理があるのだ。懐疑論と無神論という、当時問題になっていたことを解決するために、一見突飛な主張をした聖職者、くらいが哲学史的位置づけとして妥当ではないだろうか。

ヒューム

David Hume 1711 - 1776

ロックはデカルトを前提とした議論をしていた。ロック自身は、自分は心の物性的考察に立ち入らないといってるが、それは言葉だけなのだ。だが、この事情を知らず、ロックの言葉を鵜呑みにした哲学者がいる。それがヒュームだ。

ロックとの比較

ヒュームはロックと同じ仕方で叙述をする。最初は単純観念からはじめて、そこから複雑観念へ進むというように。

相違点の一つ目は、心に浮かぶ観念以外を認めないことだ。観念は静的なものと勢いよく入り込むものとの二つに分けられ、後者によって外的対象の存在が意識されるとする。

人間の心に現れるすべての知覚は、二つの異なった種類にわかれる。私はその一方を「印象」、もう一方を「観念」と呼ぶことにしよう。これら負圧の間の相違は、それらが心に働きかけ、思考もしくは意識の内容となるときの勢いと生気との程度の違いにある。

相違点の二つ目は、証明において実験の手法を採用していることである。ある命題が真か否かを考えるとき、頭の中でそれが成り立つか否かを色々と考え、確かめるということをしている。

ところで、人間の学がほかの諸学問にとっての唯一しっかりした基礎であるのと同様に、この人間の学自体に対して与えうる唯一のしっかりした基礎は、経験と観察とにおかれなければならない。実験的方法を用いる哲学が、自然についての問題に適用されてから、一世紀以上もおくれて精神上の問題に適用されるようになったことに思い及んでも、それはべつに気にかけねばならぬほど意外なことではない。

ヒュームの目的と挫折

以上の前提のもと、精神に現れる諸々の観念がどのように動き、どのような仕方で複雑な観念が生じるかを観察しよう。そうすれば、諸々の学問が使っている観念が、何を基礎としたものかもわかるだろう。これにより、諸々の観念を無批判に使っている諸学問の基礎づけが実現できるだろう。これがヒュームの意図である。

だが、因果律でヒュームは躓く。何十ページも使って考察しても、切り込み方を何度もかえて取り組んでも、どうしても因果律を導くことができない。しかし、因果律を使わない学問など存在しない。ヒュームの試みは挫折したどころか、学問は全く何の基礎も持たないことが明らかになってしまった。結局ヒュームは「世の中には楽しいことがたくさんあるんだし、こんなこと気にしないでおこうぜ」と言い出して、議論を放り出してしまう。

私は友人たちと食事をともにし、すごろくで遊び、会話を交わして楽しむ。こうして三、四時間、気を紛らしたあとで、さきほどの思索にもどろうとすると、これらの思索はきわめて冷ややかで、強いられた、愚かしいものに見え、これ以上入り込む気にはなれないのである。

ロックの誤読

ヒュームが失敗したのは、ロックを誤読したからである。ヒュームには哲学史的知識がないため、ロックがデカルトを前提にした議論をしていることに気づかず、精神優位の二元論と、実験的手法とを、無批判に持ち込んでしまったのだ。

ロックの意図を正確に把握したなら、そもそも諸科学を、精神の働きから基礎づけようなどという発想は生じなかっただろう。精神が実体であることも、それが物体に優位することも自明ではない。外的刺激のない場所にとどまるならばこの立場は成り立つのかもしれないが、そこから一歩外に踏み出せば、それを否定する経験はいくらでもあるわけだ。だからデカルトは神の存在証明を行った。スピノザ、ライプニッツも同じ問題意識を持ち、この問題に取り組んだ。ロックもこの事情を知った上で、デカルトに乗っかって認識論に取り組んだのである。

しかし、ヒュームは「精神が先でしょ」という素朴な意識しか持ち合わせていない。外部の物体が存在するのか、それと我の精神はどう関係するか、という問題に取り組む段階に至っていないのだ。

また、ロックは真偽の基準を実験にもとめているわけではない。デカルトが明晰判明の規則を発見したのだから、そのようなものは不要なのである。ヒュームが実験的手法を採用したのは自然科学からの流用であるが、哲学でそれが成り立つかは不明だ。そもそも、心の中において行う実験にどれだけの客観性があるのか、という話になるだろう。
ヒュームは哲学の素人である。それゆえ、ロックを読んでもその核心を理解できない。そこで、自分の理解力にあわせ、わからない箇所を、「精神の方が先でしょう」という素朴な思いこみや、自分の慣れ親しんでいる実験的手法で勝手に読み替えたのだ。哲学書を読むには、最低限の哲学史の知識が必要になる。残念ながら、ヒュームはそれを持ち合わせていなかったのだ。こうして、「精神が優位の二元論」と「実験的手法」という、本来的には議論が必要となる非常に曖昧なものを無意識に持ち込んでしまい、ヒュームは行き詰まったのである。

ヒュームの限界

ヒュームは、デカルトらの遥か後方にいる。デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ロックは暖炉の前から立ち上がり、外に出て考察を行った。ヒュームは未だ、部屋の中にこもったままだ。暖炉の側で微睡みながら、自分の頭の中だけで諸学問を構築できると思い込み、それを試みた。そして勝手に躓いたのである。ロックは退屈だったが、筋が通ってなくはなかった。ヒュームは、ロックから退屈さを受け継いでいるだけではなく、思い上がりと独断を付け加えている。読むのにはかなりの忍耐を要するだろう。
しかし、ヒュームは哲学史に残ることになった。カントがヒュームに「独断の微睡み」を破られ、『純粋理性批判』を書いたからである。

カント

Immanuel Kant 1724 - 1804

カントの理論は

  • ヒューム批判
  • 哲学史一般の批判

の二つに分けると理解しやすい。

ヒューム批判

精神優位の二元論には、二つの立場がある。

一つが、観念間の連結は外部にある秩序を反映しているとする、ヒュームの立場である。

もう一つは、その連結を作り出しているのは精神であるとする、カントの立場である。

カントは、「空間」「時間」「原因と結果」「数学」「自然法則」を考察し、それを作り出しているのが精神であることを証明する。

原因と結果

一番核心的なのが、原因と結果の考察だ。

カントは、ヒュームが行き詰まったのは、因果律が外的に存在すると思い込んでいたからだ、とする。このヒュームの行き詰まりこそが、精神が因果律を生み出していることの証拠になるのだ。

この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が、明らかに含まれているのである。[この原因の概念は経験から独立した普遍的なものであり]ヒュームのようにこれを、習慣から導こうとすると、この[原因という]概念はまったく失われてしまうことになるだろう。

空間、時間

空間論と時間論も有名である。

我々は物質を認識する際、それを空間の内にあるものとして捉える。だが、空間は外的には実在しない、経験以前に獲得しているものである。個々の事物がそれぞれ空間という性質を持ち、それを我々があとで認識するというわけではないのだ。私は、予め唯一の空間表象を持っている。そしてその構成部分として、個々の事物を認識しているのである。空間を作り出しているのは、私の精神なのだ。

空間は、すべての外的直感の根底に存するアプリオリな必然的表象である。たとえいかなる対象も空間のうちに見いだされないということはたぶん考えられるにしても、いかなる空間も存在しないと考えることは決してできない。

時間についても同じような証明をする。我々は個々の事物の性質として、時間を経験するのではない。予め一つの時間表象を持っており、その中にあるものとして個々の事物を認識するのだ、というように。

カントの空間論、時間論は、我々が当然だと思ったことを根底からひっくり返す内容になっており、刺激的で面白い。だが、この証明に説得され、空間や時間が外的には一切実在しないと確信する人は、それほどはいないだろう。

数学

このあたりから、少し怪しい議論に入ってくる。

カントは言う。7+5=12という式について考えてみよう。「7+5」という概念のうちには、「12」という数字は含まれていないだろう。これはつまり、「7+5」と「12」とを結びつけているのは、経験ではないということだ。ここから、数学は私の精神が生み出したものだ、ということになる。

12の概念は、私が単に7と5のあの結合を考えているということによってすでに考えられたのでは決してないし、また私がそのような可能な総和についての私の概念をいくら分解しても、そのことのうちには私は12という数を見出さないであろう。

自然法則

カントは自然法則についても扱う。

物質の概念には「質量保存の法則」と「作用反作用の法則」が含まれていないことを理由に、これらは精神が生み出したものだと主張する

たとえば「物体の世界では、あらゆる変化をつうじて、物質の量はいつまでも不変である」という[質量保存の]法則と、「運動のあらゆる伝達をつうじて、作用と反作用はつねに同じでなければならない」という[作用・反作用の]法則をあげておこう。いずれの命題も必然的なものであり、これらがアプリオリに作られた命題であることは明らかであり、しかもこれらの命題が総合的な命題であることもまた、明らかなのである。
なぜならわたしが物質という概念で理解するのはその持続性ではなく、たんにその物質が空間を満たすことによって、その空間のうちに存在しているということだからである。

空間論と時間論については、そういう考え方もありだという人がいるかもしれない。だが、数学や自然法則が外的には存在しない、それは精神が生み出したものだと言われて、本気にする人はかなり少ないのではないだろうか。

物自体

とにかく、こうしてカントは物体側から、ありとあらゆるものを削ぎ取ったわけである。そうして残った絞りかすは、「物自体」と呼ばれる。それは、「時間」も「空間」も持たない。「原因と結果」も無ければ、「数学」も「自然法則」も無い。すなわち、もはやそれが何なのかを把握することすら困難なものになってしまったわけだ。いわば、物体の成れの果ての姿が「物自体」なのである。

アプリオリな総合的判断

カントとヒュームは、精神優位の二元論を採用していることでは共通している。因果律の議論についても同じ論拠を使っている。ヒュームは矛盾に陥ったが、カントはその矛盾から違う結論に至ったわけだ。空間論、時間論といった考察はヒュームには無いものだが、これが決定的な批判になっているわけではない。

カントがヒュームと決定的に違うのは、その着眼点である。「精神が物質間の連結を作り出している」という可能性に気づけるか、否かが、両者の相違点なのだ。この可能性に気づけなかったヒュームは絶望し、気づいたカントはヒュームの先へ進むことができたわけである。

では、なぜヒュームはこの可能性に気づけなかったのだろうか。それを説明するのが、総合的判断と分析的判断の理論である。

総合的判断と分析的判断

「りんごは美味しい」という文章を考えよう。これには二種類の意味がある。

りんごを食べた経験のある人がこのような発言をした場合、この文章は、りんごについて既に知っている知識を述べただけの意味になる。

今まで一度もりんごを食べたことのない人が、初めてりんごをかじって「りんごは美味しい」と言った場合、「りんご」と「美味しい」との間に新しい結びつきを作った意味になる。

前者は分析的判断、後者は総合的判断と呼ばれる。どちらも同じように「AはBである」と表現されるが、実は違った意味を持つのである。

述語Bが主語Aに、この概念Aに含まれている有るものとして属するか、そうでなければ、BはAと結びついているけれどもBはまったく概念Aの外にあるかである。前者の場合には、私は判断を分析的と呼び、後者の場合には総合的と呼ぶ。

ヒュームの失敗

因果律に関する事態は、「AはBである」という文章で表現される。例えば「机を叩くと音がなる」「目を閉じると暗くなる」「薄着で外に出ると風邪をひく」というように。これに対してヒュームが行ったのは、分析的判断だった。「机を叩く」という概念の内に、「音」が含まれているかどうかを、ずっと確かめていたわけである。そんなことをいくら繰り返しても、うまくいくわけがなかったのだ。

我々は経験により、個々の事物が持つ性質についての知識を蓄えていく。例えばりんごを見て、触り、食べるという経験を繰り返すことで、「果物である」「赤い」「こぶし大の大きさだ」「美味しい」といった、りんごが含む性質を学ぶわけだ。そして後にりんごについて考えた際、それにどの述語が結びつくかを分析的に判断することができるのである。

しかし、因果律の場合は違う。ここにおいて主語と述語を結びつけているものは、経験ではない。精神がその瞬間瞬間に、総合的にその連結を作り出しているのである。これは、経験によらないという意味で、アプリオリな総合的判断と呼ばれる。

ヒュームは、総合的判断である命題を、分析的判断の命題として扱ったために、行き詰まったのだ。

批判だけで終わる

カントはヒュームを批判したが、そこから先に行くことができない。批判の結果、認識の基礎にあるのはすべて人間精神ということになったが、そのまま議論を続ければバカバカしいものができることは目に見えているからだ。因果律も自然法則も数学も空間も時間も私の精神が生み出したものらしいが、果たしてそんなことがありうるだろうか?私が望めば、因果律も自然法則も捻じ曲げ、世界を望むように作りかえることができるのか?そんな主張ができない程度には、カントは常識人だったのだ。

そうして出てくるのが、精神は「感性、悟性、理性」の三つにより構成されている、という説である。カントは自説を常識的なものにするために、まず精神から「理性」を分離する。理性とは、私の精神に属しながらも、私の意識に上らず恣意的にならない領域である。そして、自然法則その他を生み出す能力をこれに帰す。そうすれば、自然法則その他が自身の精神に由来し、恣意的になるという主張をしなくても済むようになる。先の主張がすこし穏便なものになったわけだ。ついで、精神から「感性」を分離する。感性は外部に存在するものを把握する役割を持つ。そうすれば外部にあるものがすべて自身の恣意による、という主張をしなくて済む。そうして残ったものに、「悟性(精神のことだが、日本では伝統的にこういう勿体ぶった宗教的な呼び方をする)」という名を与える。結果、カント本来の主張は穏便で骨を抜かれたものになるわけである。

だが、今度はこの三つの関連を考察する必要が出てきてしまった。ああでもないこうでもないとやってるうちに、特に結論はでないまま『純粋理性批判』の紙幅が尽きてしまう。そこから重要な諸観念を導くこともできなければ、諸学問の基礎づけを行うこともできない。カントは、ヒュームを批判しただけで終わってしまうのである。

哲学一般の批判へ拡大

カントを学習したことのある人は、「アプリオリな総合的判断」がカントの重要概念として扱われているのを知っているはずだ。だが、ヒュームの議論に限っては、これはそれほど意味を持つものではない。ヒュームが失敗した理由を分析したものでしかないからだ。これがなくてもヒューム批判は成り立つのである。

「アプリオリな総合的判断」が重要概念になったのは、カントが総合的判断と分析的判断の枠組みを、哲学一般の批判にまで拡大したからである。

カントは次の思いつきをする。ヒュームは、分析的判断と総合的判断とを混同したために、因果律で躓いた。これと同じように、過去に存在した哲学者も、分析的判断と総合的判断を混同していたのではないだろうか。そして、その結果何らかの哲学的難問に陥ったのではないだろうか。もしこのことを示せれば、カントはヒュームを乗り越えるだけではない。既存の哲学史すべてを総括し、すべての哲学者を乗り越えた者として、名乗りを上げることができるだろう。

デカルト批判

既存の哲学の代表者として批判するのが、デカルトである。カントは、デカルトによる神の存在論的証明を、「万能で存在する性質を持っているものを想像すれば、それだけでそれが存在するようになる」証明だと解釈する。

ここで問題になっているのは、ある事物が存在するか否かについてであり、総合的判断に属する話である。しかし、「万能な神」という主語の内に「存在」という述語が含まれるか否かという分析的判断の話にすり替えている。デカルトは、分析的判断と総合的判断の区別がつかなかったから、このような誤りをした。このように批判する。

こうして、カントはヒュームのみならず、既存のすべての哲学を乗り越えた。すべての哲学的難問は、総合的判断と分析的判断の区別により解決する。したがって、カント哲学はすべての哲学を総括したものだ、と言えるわけだ。

哲学史一般の批判は失敗

既存の哲学を、総合的判断と分析的判断の枠組みで批判しようとする発想は、野心的でなかなか面白いが、残念ながら失敗している。

まず、カントのデカルト理解は誤りである。神の存在論的証明を詭弁とするカント的な解釈は、言ってみればよくある解釈であり、デカルトの同時代人が既に行っている。それに対してデカルトは、そのような解釈は『省察』の内容をきちんと把握してないことに基づく誤解だと述べている。詳しくは、本論文の「デカルト - 神の存在論的証明」を参照してほしい。

それに、カントはデカルト以外の哲学者を個々に取り上げ、批判するということができていない。過去の形而上学が取り組んでいた課題として、「神」「自由」「魂の不死」に言及しているが、これで既存の哲学がどれだけ汲み取られたことになるのか、この主張をしたのはどの哲学者なのか、その哲学者がどれだけ哲学史において重要な位置を占めているのかは不明である。

カントが持つ哲学史の知識は非常に射程が狭い。カントが十分に研究をしているのは、ヒュームくらいのものである。デカルトについては、せいぜい大学学部生が一般教養で学ぶ程度の知識しか持っていない。哲学史一般を批判する仕事は、カントの手に余るのだ。

哲学史についてある程度の知識を持つ者ならば、カントの批判が的外れであることに気づいただろう。カントが使う抽象的な言葉やそれっぽい断言が、生半可な知識を取り繕うためのものであることを容易に見抜いただろう。しかし、カントの嘘が見破られることはなかった。これ以降の哲学は、カントに大きく影響されたものになる。デカルトにはじまった近世哲学は、ここで一つの大きな区切りをむかえるわけだ。

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