ホッブズの方法論とその批判
ルソーの問題意識
ルソーが問題とするのは、個人と全体の関係についてだ。人間は誰もが、自己の利益の実現を図っている。だが同時に、全体に関する配慮も持っているはずだ。全体のためにこれをせよ、と言われた際に、そこに強制力を感じることがあるだろう。かつ、全体の利害と個人の利害とが矛盾し、葛藤することもあるだろう。この背後にあるものを解き明かすことがルソーの目的だ。
人は自由なものとして生まれたのに、いたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思い込んでいる人も、じつはその人々よりもさらに奴隷なのである。この逆転はどのようにして起こったのだろうか。それについては知らない。それではどうしてその逆転を正当化できたのだろう。わたしはこの問いには答えられると思う。(1-1)
方法論の考察
そこで用いるのが、ホッブズの方法論だ。ホッブズは、現在の政府に正当性があるのか否か、という問題に答えるため、「社会ができる以前の状態(自然状態)について想定し、そこから社会が生じた過程を考察する」という思考実験を行った。
ホッブズは、自然状態を「万民が万民に対して闘争をしている状態」とする。その状況を脱するために、各人が政府と契約を行い、社会状態に移行した。それゆえ、政府が人民を統治するのは正当であり、政府が暴政を行おうと、それは万民が万民に対して闘争している状態よりはましだから受け入れるべきだ、と主張する。
ルソーは、ホッブズの思考実験を採用する。ただし、ホッブズとは異なり、それが政府との契約であることを否定する。
不利なものであり不合理である
その批判の一つが、それが人民にとって不利であり、そのような不合理な契約を結ぶわけがない、というものである。
取引であるからには、それによって得るものが何かあるはずである。だが、全てを王に委ねることによってもなにも得られず、奪われるばかりだ。そのような契約を結ぶわけがない、という趣旨だ。
しかしある人民の全体がみずからを売る理由があるのだろうか。王たる者は人民に生存のための糧を与えたりなどしない。人民からみずからの生存の糧をうけとるだけなのだ。そしてラブレーによれば、王はわずかなもので満足することはない。だとすると臣民は、王が自分たちの財産までもとりあげることを条件にして、みずからを王に与えるとでもいうのだろうか。それでは臣民には、守るべきものが何か残されているだろうか。(1-4)
ある人間が代償もなしにみずからを与えるというのは不合理であり、考え難いことである。このような行為は、それを行った人間が常識を失っていたとしか考えられないから、そもそも正当性がなく、無効な行為である。ある人民の全体がそのような行為をしたと主張するのは、その人民は気が狂っていると想定することだ。しかし狂気からは権利は生まれないのである。(1-4)
暴力と権利は結びつかない
また、政府の起源を暴力に求める理論も否定する。例えば、社会において最も力の強いものがいて、それが権力を形作った。あるいは、戦争によって相手を征服して、相手を殺すかわりに奴隷として、それが社会を生んだ、というものだ。
ルソーは、暴力はどこまで行っても暴力でしかなく、それが社会につながることはないとして否定する。
権力者には服従せよと言われるが、それは力には屈せよということになる。これは掟としては善いものかもしれないが、もともと余分なものなのだ。この掟に違反する者など、決していないことは保証する。すべての権力が神に由来するものだという理論は、正しいものだと認めよう。しかしすべての病もまた神に由来するものなのだ。神に由来する病にかかったとき、医者を呼んではならぬということになるだろうか。森の片隅で強盗に襲われたとしよう。するとわたしは強いられて、財布を渡すだろう。しかしわたしは財布をうまく隠せるときにも、良心的に財布を渡すべきだということになるだろうか。強盗のもっている銃もまた、一つの権力なのだから。(1-3)
このように、どのような視点から考察しても、人を奴隷にする権利は無効である。それが不当であるというだけではなく、合理的ではないし、何も意味していないからだ。この二つの語、奴隷という語と権利という語は、矛盾しているのであり、たがいに否定しあうのである。それが他者に語られた言葉だとしても、他の人民に語られた言葉だとしても、次の言葉を語ることは、すなわち「わたしはここに、すべての負担はお前が担い、すべての利益はわたしがとることに合意した。わたしは自分の好きなだけ、この合意を守る。お前はわたしの好きなだけ、この合意を守るのである」と宣言するのは、同じように無意味なことだろう。(1-4)
合意が最初にある
以上から、国家とは政府と人民の契約ではないということ、その根底には人民同士の同意があったはずであることが導かれる。
自然状態において、各人は自己の利益を追求する。そのような人間同士が集まり、互いに合意して、社会を形成した時点があるはずだ。権力者や政府、王というのが最初にあったわけではなく、最初に人民同士の同意に基づく国家があり、その後で王、政府が生まれたのだ。
したがって、まずは、どのようにして人民同士で国家が形成されたかを考察しなければならない。