一般意志
一般意志とは何か
「国家を介してでしか、自己の利益を実現できない」という状況が維持されている時、
- 国家が実現すべき目的
- その実現のために各構成員が労力を提供すること
については、全構成員が当然のこととして把握している。そして、構成員の誰もが、国家の目的を実現するには何を為せばいいのかを、常日頃から考えている。誰もが、常に自己の利益の実現について考えているように。いわば、各自は本来備わる個別意志とは異なる、別の意志を持つことになるわけだ。これをルソーは一般意志と呼ぶ。
構成員が持つ一般意志はどれも同じものである。かつ、全構成員はこのことを確信している。一々「君は国家の実現すべき目的はなんだと思う?」「その実現のために労力は提供すべきだろうか?」などと尋ねる必要はないのだ。
一般意志を持つことで、人間のうちには極めて大きな変化が起こる。訓練によるさまざまな能力の発展、幅広い思考、高貴な感情の形成といった、自然状態では不可能だったことが可能になる。こうして人間は、魂の全体を高め、自然状態から永遠に離脱し、知的な存在になるわけだ。
社会状態では人間は、自然状態において享受していたさまざまな利益を失うが、その代わりにもっと大きな利益を手にするようになる。人間のさまざまな能力は訓練されて発展するし、思考の幅は広くなり、感情は高貴なものとなり、魂の全体が高められる。もしも人間がこの状態を悪用したために、脱出してきた自然状態よりもさらに低い地位にまで堕落するようなことさえなければ、人間はこの幸福な瞬間をずっと祝福しつづけることになるだろう。そのとき人間は、もとの自然状態から永久に離脱し、そのことによって愚かで視野の狭い動物から、人間に、知的な存在になったのであるから。(1-8)
一般意志の強制
各人は、一般意志と同時に個別意志を持つ。この個別意志は、時には一般意志とは別のことを語りかけることがある。そうして、国家により提供される共同の利益を無料で手に入るものだと思い込み、労力の提供を避けるべき負担だと考えるようになる。これを放置すると、国家の基礎が崩れてしまうだろう。そこで、一般意志への服従を拒む者に対しての、服従の強制が必要になる。これは、国家を存続させる必須の条件として、国家形成時に暗黙のうちに認めているものである。
実際にすべての人は人間として、ある個別の意志をもつのであり、市民としてもっている一般意志に反することも、これと異なる意志をもつこともありうるのである。個人の特殊な利益は、共同の利益とはまったく異なる言葉で、個人に語りかけるかもしれない。各人は、ほんらいは独立した絶対的な存在であるから、共同の利益のためにはたすべき任務を、無償の寄付とみなして、その寄付の額の高さと比較すると、[その義務をはたさないことで]他人がこうむる被害のほうが小さいと考えるかもしれないのである。あるいは国家は法的な人格であり、生きている人間ではなく、理屈で考えだしたものにすぎないと判断し、国民としての義務をはたさずに、市民としての権利だけを享受しようとするかもしれない。このような不正がつづけば、やがて政治体は崩壊することになるだろう。
だから社会契約を空虚な[約束の]表現にしないために、この契約には、一般意志への服従を拒むすべての者は、団体全体によって服従を強制されるという約束が暗黙のうちに含まれるのであり、この約束だけが、ほかのすべての約束に効力を与えることができるのである。ただこれは、各人が自由であるよう強制されるということを意味するにすぎない。それぞれの市民はこのことを強制されることで、祖国にすべてを与えるのであり、これによって他人に依存することから保護されるのである。この条件のもとでこそ、政治機構の装置と運動が生みだされる。そしてこの条件だけが、市民のさまざまな約束を合法的なものとする。この条件なしでは市民の約束というものは、不条理で圧制的なものとなり、さらに大きな濫用をもたらすことになるだろう。(1-7)