集会の紛糾

本来は対立は生じない

集会の紛糾が、何を原因として起こり、どうすれば解消するかを考えてみよう。
集会の本質は、情報の差の解消にある。したがって、理想的な国家においては、そもそも集会が紛糾することはなく、議論は必ず収束する。ここで解消不可能な対立が生じることはない。

裏切り者の存在が問題の核心

では、集会において議論がしばしば紛糾するのはなぜか。それは、「国家を介してでしか、自己の利益を実現できない」という条件を共有した者のみで、国家が構成されている、という前提条件が成り立っていないことによる。集会に国家の利益を追求しない者、すなわち裏切り者が入り込んでいるため、議論が紛糾するのだ。
裏切り者が存在する限り、議論の紛糾が解決することはない。立法のシステムは、その参加者が「国家の目的を実現する」ことに一致していることを前提にして成り立っている。これが崩れたのであれば、そこにおいて議論が収束する理由は存在しないのである。それは、「一致をする気のない者と一致する」という、そもそも実現不可能なことを追求することになるだろう。その結果、どのようにシステムが複雑化し、国家に悪影響を与えるかについては、先に見たとおりだ。
この問題は、立法以前の段階で解消しなければならない。「一般意志の理論」で語ったように、一般意志に従わない者には、一般意志を強制する必要があるのだ。裏切り者を排除し、集会への参加者が一般意志に従う者のみになることで、初めて立法過程は機能するのである。

立法における原則は適用されない

ここでのポイントは、裏切り者の排除と立法の議論が、全く別次元にあることである。
立法過程においては、相手の発言は尊重しなければならない。相手が持つ情報が有益であり、国家全体の利益につながるものでありえるからだ。少数者の意見は尊重しなければならない。情報の価値は、その情報を持つ者の数とは無関係だからである。多様性は尊重されなければならない。いろいろな構成員がいることで、多くの種類の情報が集まり、より適切な判断を下せる可能性が増えるからである。
だがこれは、相手が一般意志に従う仲間である、という要件を満たしている限りの話だ。仲間ではない者の発言を聞く必要はないし、仲間でない者がいるという多様性を確保する必要も、仲間ではないという点で少数者である者を保護する必要もないのである。

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