裏切り者

問題提起

理論的には、裏切り者に一般意志を強制することは必須であるが、これが実際になされないことも多い。裏切り者の排除に抵抗を覚える者も多いはずだ。「どのような人間にも人権は存在する」「かわいそうだ」「話せばわかってくれるはずだ」「少数者の意見を切り捨てるべきではない」といった意見が頭に浮かぶだろう。これについて整理する。

理論面の整理

国家の基礎にあるのは、一つの判断のもと、労力を平等に提供することである。これによって各人は、個では達成できない利益を実現するわけだ。そして皆がその判断に従うのは、「自分と同じ労力を他の者も平等に負担している」と確信していることによる。
裏切り者とは、労力を提供せず、国家の利益を享受する者を意味する。その利益は別にただで手に入るわけではなく、他の構成員の提供する労力によって実現しているものだ。したがって、裏切り者がいればその分、他の者の提供する労力が増し、かつ各人が得る恩恵が減少することになる。さらには、裏切り者の存在は、「自分と同じ労力を他の者も平等に負担している」という確信を歪め、集会の紛糾や、構成員の国家からの脱落を促進することになる。国家の利益を損なうという点で、それは国家の敵であり、さらには内的な混乱をもたらすという点で、外部の敵よりも始末が悪いわけだ。
したがって、裏切り者を排除すべきか否か、という問題で実際に問われているのは、裏切り者の利益を優先するか、それともそれ以外の構成員すべての利益を優先するか、なのである。両者は矛盾しており、どちらかを選択する必要があるのだ。

裏切り者の排除を妨げるもの

裏切り者の排除を忌避する者は、この構造について無知であり、ここでの問題の核心が利害対立であることに気づいていないだけなのである。
そうして、別の個別的な感情なり、私的な利害なりを優先しているわけだ。憐憫等の感情、人権といった私的な理論、相手を追及することで受けることになるダメージの回避、裏切り者を追及しなくても積極的に自身は非難されないだろうという想定により、一般意志が命じることに、背いているだけなのである。

人間関係の基礎

利益の対立によって相手を排除することは正しいのか。他の基準は本当に存在しないのか、という問題について考察しよう。「利益以外にも思いやりや憐憫といった感情が存在し、それは社会の重大な構成要素ではないのか」「利害で対立する者にも認めるべき、人権のようなものがあるのではないか」「利害を超えたところで人間同士が繋がる何かがあるのではないか」といった疑問がありうるからだ。
まず、国家の基礎にあるのは共通した利害である。それについては既に見たとおりだ。思いやりや憐憫が基礎になっているわけではない。
また、人間同士の関係性の基礎には、必ず国家状態がある。国家において構成員は、互いに協力しあうことで利益を実現する関係性にある。国家状態があって、はじめて他の構成員の利害を、自分の利害として考えること、相手が負う困難を自分の困難として捉え、その解決のために労力を提供することが成り立つのであり、その基礎の上に多様な関係性なり、思いやりといった感情なりが成り立つ。これは経験的にもわかることだ。お前の利害などどうだっていい、お前は私の手段の対象であり何をしたって許される、などという者と、いかなる関係性も築くこともできないのは明白だ。
人間関係の基礎にあるのは利害関係であり、これを否定すれば、相手との一切の紐帯は消えることになる。その場合、相手を手段の対象として何をしてもいい、自然状態の関係に戻るわけだ。お前の利益や不都合など知ったことではないと発言する者を、こちらが気にかける合理性はないのである。
また、話し合えばわかるというのも嘘である。これは、理想的な国家における立法過程では真である。だが、これが真であるのは、人間に「話し合えばわかりあえる」という本性が備わっているからではない。理想的な国家において、一致点の存在する者同士で、一致する問題について話し合うから、一致するのだ。この構造について無知であるとき、話し合いには普遍的な力があり、誰とでも話し合いによって分かり合うことができる、という思い込みをするのである。

基本的な方針

裏切り者に対しては、何を行っても構わない。相手が望んで国家状態を破棄したのであれば、こちらも同じように対抗するしかないのである。
ただ、これには工夫が必要になる。というのは、上で述べたような国家論を、すべての者が把握しているわけではないからだ。このとき、裏切り者の排除により、自分が不利益を被る場合がある。裏切り者を排除する行為がただ暴力的で、和を乱すものと映ってしまうのである。そこで、この危険性を取り除いた上で、裏切り者を追い出すという手順が必要になる。

実際の手順

基本的には、対象が裏切り者であることを明確化することになる。
まず、その対象が裏切り者であり、国家全体の利益と、構成員全体の利益に反していることについての一致を取る。言質を取る、行動を記録する、その記録を整理して公表する等をすればいいだろう。
通常人間は、個々の感情にとらわれ、個々の利益を追求する。また、常に妥当な観念を形成しているわけでもない。だが、国家の利益を共有していること、一般意志を有していることは確実である。この点で、短期的でしかなく、常に自身の利害に関係するわけでもない、個々の感情よりも優位にあるわけだ。国家あるいは構成員全体の利益の観点から訴えても、短期的には他の感情に圧倒されるかもしれないが、長期的はこちらが圧倒することができるだろう。
また、この際には、抽象的な理論ではなく、具体的かつ、相手の意識に長期的に残る工夫をするといい。裏切り者であることが明白であるように事態を整理する、個々の構成員が負担している労力を詳述して、相手の行為と対比する、文書の形でまとめる、それを常に目につくところに掲示する等の工夫がありうるだろう。
そうして、その者が裏切り者であることを全体に知らしめ、自身に味方するものを増やした上で実力行使する。そうして、自然状態と同じく、相手の意図や都合は無関係に、数の力でこちらの利益を相手に強制するわけだ。

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