デカルトとスピノザ

デカルトの脆弱性

デカルトの理論の鍵となるのが、実体の複数性だ。神という実体が、精神的実体と物体的実体を創造したと主張することで、デカルトは我の実体性を維持しようとしたのである。
ではなぜ、デカルトは実体の複数性を認めることができたのだろうか?それは、考察の順序でズルをすることによってである。デカルトは、コギトの後に我の不完全性を意識し、自己と異なる実体が存在することに気付いた。すなわち自然全体であり、デカルトが神と呼ぶものである。そのまま神の考察を進めたならば、我が実体ではないこと、自由意志が存在しないことを、当然のこととして受け入れることになっただろう。
だが、デカルトは神について曖昧にしたまま、精神的実体と物体的実体の考察に進んだ。こうすることで、実体の複数性を既成事実化したのである。

スピノザの方法

スピノザは、総合的方法を使ってデカルトを批判する。
まず最初に行うのが、実体概念の明確化だ。「君は実体を、他の何ものも要しないものとして定義しているだろう」「それは複数性とは矛盾する」「よって実体が実体を産出する事態もありえない」というように。こうして実体概念に関する同意を、一つ一つ積み上げた上で、あらためてデカルトが神を認めた時点に立ち戻る。すると、デカルトは黙るしかなくなるのだ。もはや、それが他の実体を産出したということも、実体が複数あるということも、言うことができない。先の同意と矛盾してしまうからである。
こうして、神を認めた時点で話は終わる。万物は神のうちに含まれており、他の実体は存在しない。精神もそのうちの一部でしかない。デカルトの理論は否定されることになるのだ。

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