実体の唯一性(定理一二~一四)

定理一二~一四では、実体の唯一性が示される。これにより、デカルト理論の核心である、実体の複数性が否定されることになる。
神という実体の存在が、既に定理一一で確定していることが、ここでのポイントだ。これにより、「実体は複数ありうるか」という問題が「神という実体から他の実体が生じ得るか」「神という実体があるのに他の実体が存在することは可能か」というより限定された問題へと変わるわけである。
この問題を、それぞれ異なる観点で解決しているのが、定理一二~一四だ。

実体の分割可能性

ある実体をその属性のゆえに分割可能であるとするような考え方は、実体のいかなる属性についてもあてはまらない。(定理一二)

ここでのテーマは、実体の分割可能性だ。そもそも実体が分割不可能であれば、神という実体を認めた時点で、神以外の実体が存在しないことになる。
この定理は、実体の本性が属性であることを踏まえると、理解が容易だ。実体は、主要な属性と直接結びつくものである。物体的実体は延長属性と、精神的実体は思考属性と、というように。我々が実体を考える際には、実際にはこれら無限の属性のことを考えているのだ。
よって、「実体が分割可能である」という主張は、「属性が分割可能である」という主張と同じことになる。無限に広がる延長が分割される事態や、一つの思考が分割される事態を想定しなければならないわけだ。だが、これは不可能である。実体がその属性のゆえに分割可能である、という主張は、属性概念について真の知識を持っていたのなら、できるわけがないのである。

神の分割可能性

絶対に無限な実体は分割されない。(定理一三)

定理一二では実体一般の分割可能性について考察されたが、こちらでは神、すなわち絶対に無限な実体の分割可能性について考察される。証明の構造は定理一二と同じであり、それが分割されると想定したら矛盾する、よって分割されない、というものだ。

複数の実体の不可能性

神のほかにはいかなる実体も存しえずまた考えられえない。(定理一四)

ここでのテーマは、「そもそも神以外に実体が存在すること自体が不可能である」というものだ。
神以外に実体があるとすれば、それは延長属性、あるいは思考属性のいずれかを本性とするものでないといけない。だが、延長属性も思考属性も、神の本性を構成するものである。よって、神以外の実体を認めるには、同じ本性を持つ複数の実体の存在を認めなければならない。だが、これは不可能である。したがって、やはり神が唯一の実体であることになるわけだ。

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