精神
精神(mens)は普遍概念の一つである。精神の観念は、「あのときこのような行為をした」「あのときこのように感じた」等の、過去に経験した、自身に関わる無数の観念によって構成されたものであり、なんらかの事態をきっかけにして想起され、より強力な別の刺激を受けると排除される。つまり、精神は他の観念と同列のものでしかないのである。我々が、他者の精神をその時々で想起するのと同じように、自己の精神をその時々で想起しているだけなのだ1。スピノザは、精神は観念によって形成されたものでしかないことを示すため、精神を「観念の観念(idea ideae)」と呼ぶ2。
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例えばペテロ自身の精神の本質を構成するペテロの観念と、他の人間例えばパウロの中に在るペテロ自身の観念との間にどんな差異があるかを明瞭に理解しうる。すなわち前者はペテロ自身の身体の本質を直接に説明し、ペテロの存在する間だけしか存在を含んでいない。これに反して後者はペテロの本性よりもパウロの身体の状態をより多く示しており〈この部の定理一六の系二を見よ〉、したがってパウロの身体のこの状態が持続する間は、パウロの精神は、ペテロがもはや存在しなくてもペテロを自己にとって現在するものとして観想するであろう。(定理一七備考) ↩
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つまり、精神の観念と精神自身とは同一の必然性をもって同一の思惟能力から神の中に生ずるのである。なぜなら、精神の観念すなわち観念の観念というものは実は観念その対象との関係を離れて思考の様態として見られる限りにおいての形相にほかならないからである。(定理二一備考) ↩