定理六~七
第三部定理四~七は、第一部後半と第二部を踏まえた内容になっている。これらをあらかじめ理解していなければ、この箇所を理解することはできない。
第二部との関係は、本論で述べた。ここでは、第一部後半との関係を詳しく見てみよう。まずは、第一部後半の内容をおさらいしよう。
第一部後半概要
第一部後半の批判対象は、神が知性と意志を持ち、任意のものを無に帰す力を持つという、民衆の先入観だった。これを批判するため、スピノザは総合的方法を使う。まず、民衆の用いる「神の力」という言葉を定義する。「君の言う神の力は、我々がここまで考察してきた神の本性から導かれるものだね」というように。その上で、一致点を一つ一つ積み上げていく。「ならば、様態、属性について我々がこれまで語ってきたことについても、君は当然認めるはずだね」「様態も属性も神の一部であり、切り離して考えることはできない。君の言葉を借りれば、それは神の力の一部ということになる」というように。その上で、あらためて問いかけるわけだ。「君は、最初の定義以上の何かが、神の力に含まれると思うか?」「任意のものを無に帰す力、現実世界と異なる世界を知性の内で考え、それを創り出す力といったものが、一致を積み上げた今でもあると思うのか?」と。すると、相手は何も答えられなくなるわけだ。
こうして、民衆の主張は否定された。神の力という言葉は残ってはいるが、それは当初の意味を失い、神の本性を言い換えただけのものとなるのである。
定理六
以上を理解していれば、定理六~七についても理解できる。
おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める。(定理六)
本論でも述べたように、この定理は、個物の定義を理解し、個物がコナトゥスを持つと認めている者に向けたものである。たとえ神の力を持ち出しても、個物がコナトゥスを持つことは否定できないことを示すことで、この定理は証明される。
個物が属性のうちにあるものであること(第一部定理二五系)、民衆の言葉を使うならば、それが神の力の一部をなすものであること(第一部定理二四)は、既に一致している。よって個物がコナトゥスを持つことは否定できない、という内容になっている。
定理七
おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。(定理七)
この定理は、個物がコナトゥスを持つことが確かだとしても、それが本当に本質だと言い切れるのか、それがいつか失われる可能性もあるのではないか、という疑念に向けたものである。
神の力の分析により、本質と認めたことがいきなり失われたりしないことは一致している(第一部定理三六)。そして、自然のうちには偶然なものがなく、すべてが一定の仕方で存在し・作用することについても一致している(第一部定理二九)。したがってそのような疑念など持つ必要がない、という証明内容になっている。