理想的な人間像
以上の分析により、一般的に価値があると思われている感情は、実は無価値であることがわかった。すると当然問題になるのが、「価値のある感情とはなにか」「具体的にどう生きればいいと言うのか」である。これについて、スピノザがまとめていることを見ていこう。
理性と一致する感情
スピノザは、自己満足(acquiescentia)を理性と一致する感情として挙げている。これは、妥当な観念を持つ状態において感じる喜びであり、受動の感情と違って他の対象は関係ない。よって最高の満足がここから得られるわけである。
また、好意(favor)と名誉(gloria)も理性と一致する1。好意とは他人に親切をなした人に対する愛であり、名誉は人々が喜んでいる姿を想起することで得られる喜びだ。これらは喜びの感情であり、さらに国家にも寄与するわけだ。ただし、名誉だと思っているものが、何ら実態のないものに過ぎない場合があるから、この点には気をつけるべきだとする。
他者への対応において有用な感情
非妥当な観念を持ち、受動の感情に従属している者が、自分を憎しみの対象にする場合がありうる。この場合に有効なものとして、スピノザがあげる感情が、愛と寛仁(generositas)だ2。寛仁は憐憫と対比される感情で、他者の利益の実現が、自己の利益の実現につながると確信した上で行う援助を意味する。これらの感情で報いれば、相手は我々の観念を喜びの感情と結びつけ、結果憎しみが愛へと移行するだろう、というわけだ。
理性的な人間の振る舞い
スピノザは、理性的な人間がどのように振る舞うべきかについても、具体的に説明する。その内容は、「恐怖に導かれて、悪を避けるために善をなす者は、理性に導かれていない。(定理六三)」「自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の知恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である。
(定理六七)」「自由の人々のみが相互に最も多く感謝しあう。(定理七一)」「理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。(定理七三)」といった内容だ。証明を目的としたこれまでの定理とは異なり、ここでの定理は、個々の事態での対処で迷った際に参照することを想定した、箴言的なものとなっている。中には「自由の人の徳は危難を回避するにあたっても危難を克服するにあたってと同様にその偉大さが示される。(定理六九)」「無知の人々の間に生活する自由の人はできるだけ彼らの親切を避けようとつとめる。(定理七〇)」といった、スピノザが実際に質問されたであろう内容のものもあって面白い。きっと、「どんな場合でも逃げるべきではないのではないか」「民衆と付き合っていて不快になることがあったのだがどうすればよかったのか」等、友人がスピノザに聞いてきたのだろう。この箇所を見ると、『エチカ』が実践のために書かれた書物であることがよくわかるはずだ。