観念の分析のための前提的考察(公理、補助定理、要請)
観念の分析に先立つ最低限必要な考察が、定理一三と定理一四の間にある公理、補助定理、要請であり、以下のように段階的に分けることができる。
- 単純な物体:公理一、二 補助定理一~三
- 物体の接触:公理一、二
- 複合した物体:定義、公理三、補助定理四~七
- 人間身体:要請一~六
単純な物体
公理一、二
まず最初になされるのが、単純な物体の考察である。基礎となるのが以下の二つの公理だが、特に理解は難しくないはずだ。
公理一 すべての物体は運動しているか静止しているかである。
公理二 おのおのの物体はある時は緩やかに、ある時は速やかに運動する。
補助定理一~三
次に、第一部の証明をもとにして、三つの補助定理が置かれる。神以外に実体は存在しないのだから、物体が実体に関して区別されないのは当然であり1、属性においては一致しているのだから、いくつかの点で一致するのも当然であり2、有限様態の考察を踏まえれば、物体同士が関連しあっていることも当然である3、という内容だ。
物体の接触
公理一、二
次に考察するのが、物体の接触についてである。これに関して、スピノザは二つの公理を提示する。それぞれ「物体同士が接触した際の反応は、物体双方の本質により決まる」「接触後に物体双方が離れても、接触の痕跡は残る」という内容になっている4 5。これについても、特に理解は難しくないだろう。この二つの公理は、存在しない観念の説明に利用されることになる。
複合した物体
以上を踏まえたうえで、スピノザは複合した物体について考察する。
個物の定義
最初の定義は、複合した物体が個物と呼ばれる条件に関するものだ。
同じあるいは異なった大いさのいくつかの物体が、他の諸物体から圧力を受けて、相互に接合するようにされている時、あるいは(これはそれらいくつかの物体が同じあるいは異なった速度で運動する場合である)自己の運動をある一定の割合で相互に伝達するようにされている時、我々はそれらの物体がたがいに合一していると言い、またすべてが一緒になって一物体あるいは一個体を組織していると言う。そしてこの物体あるいは個体は、構成諸物体のこうした合一によって他の諸物体と区別される。(定義)
物体全体の秩序および連結は定まっており、そこに例外はない。ある物体の運動および静止は、別の物体をその原因とし、その原因の運動および静止もまた別の物体を原因とする。そしてその連鎖は永遠に続く。
ここにおいて、複合した物体を個物たらしめる絶対的な基準は存在しない。例えば人間身体について考えてみよう。人間身体をどこまで腑分けしようと、物体全体の秩序および連結に従わないものは見出せないわけだ。さらに、人間身体の構成物は時々刻々と入れ替わる。ここにおいて、ある個人を個人たらしめる絶対的な基準は存在しないのである。
では、複合した物体から構成される個物とは何だろうか。それは、「相互間の運動および静止の割合」が一定で、「ある方向に対して有する運動」を持つものだというのがスピノザの答えだ。それが物体によって構成されていること、物体全体の秩序および連結に従うことは変わらないし、その構成物も変化し続ける。だが、とにかくそこには一定のまとまりと一つの運動を有するように見えるもの、すなわち個物として見えるものがある。「そのように見える」ことが全てであり、他に個物の基準などないことになるのだ。
公理
スピノザは、複合した物体に関連して、複合した物体は柔らかい部分、硬い部分、流動的な部分に分けられるという内容の公理を置く6。この公理は、記憶の物理的な説明に用いられることになる。
補助定理
スピノザは、個物を「そう見えるもの」として定義した。これにより、複合した物体が同一の個物でありつづける基準は非常に緩いものとなる。個物に見えればそれは個物なのだから、その一部が入れ替わろうと、大きさが変わろうと、関係がないわけだ。それを一々確認しているのが補助定理四~七であり、以下の内容になっている。
- 補助定理四:構成物の一部が入れ替わっても同じ個物である7
- 補助定理五:大きさが変化しても同じ個物である8
- 補助定理六:構成物の一部が分離しても同じ個物である9
- 補助定理七:全体が方向性を変えても同じ個物である10
人間身体
スピノザの定義する個物は、その範囲が非常に広い。そのように私の前に現れればそれは個物なのだから、それを個々の人間や物に限定する必然性はないわけだ。よって、家族でも、民族でも、国家でも、それを個物としてもいいことになる。これをさらに進めれば、自然全体、すなわち神も一つの個物だと言えるわけである11。
人間もそうした個物の一つである。ある個人が個人たりうるのは、一定のまとまりと一つの運動を有するように見えるからであり、そこに絶対的な基準は存在しないのだ。スピノザは、人間身体の物理的な性質を規定するため、「人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体からきわめて多様の仕方で刺激される」といった六つの要請を置く12。これに基づいて、定理一四以降では観念の本性が考察されることになるわけだ。
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物体は運動および静止、速さおよび遅さに関して相互に区別され、実体に関しては区別されない。(補助定理一) ↩
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すべての物体はいくつかの点において一致する。(補助定理二) ↩
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運動あるいは静止している物体は、他の物体から運動あるいは静止するように決定されなければならなかった、この後者も同様に他の物体から運動あるいは静止するように決定されている、そしてこれもまたさらに他の物体から決定され、このようにして無限に進む。(補助定理三) ↩
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ある物体が他の物体から動かされる一切の様式は、動かされる物体の本性からと同時に動かす物体の本性から生ずる。したがって、同一の物体が、動かす物体の本性の異なるにつれてさまざまな様式で動かされ、また反対に、異なった物体が、同一の物体からさまざまな様式で動かされることになる。(公理一) ↩
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運動している物体が静止している他の物体に衝突してこれを動かすことができない場合には、それは弾ね返って自己の運動を継続する。そして弾ね返る運動の線がその衝突した静止物体の面となす角度は、打ち当る運動の線が同じ面となす角度に等しいであろう。(公理二) ↩
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個体の、あるいは複合した物体の、各部分がより大なるあるいはより小なる表面をもって相互に接合するにつれて、それらの部分は自己の位置を変えるように強制されることがそれだけ困難にあるいはそれだけ容易になる。したがってまたその個体自身も他の形状をとるようにされることがそれだけ困難にあるいはそれだけ容易になる。そこで私は、その部分が大なる表面をもって相互に接合する物体を硬、その部分が小なる表面をもって接合する物体を軟、最後にまたその部分が相互に運動する物体を流動的と呼ぶであろう。(公理三) ↩
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もし多くの物体から組織されている物体あるいは個体から、いくつかの物体が分離して、同時に、同一本性を有する同数量の他の物体がそれに代るならば、その個体は何ら形相を変ずることなく以前のままの本性を保持するであろう。(補助定理四) ↩
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もし個体を組織する各部分が、すべてその相互間の運動および静止の割合を以前のままに保つような関係において、より大きくあるいはより小さくなるならば、その個体もまた何ら形相を変ずることなく以前のままの本性を保持するであろう。(補助定理五) ↩
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もし個体を組織するいくつかの物体がある方向に対して有する運動を他の方向に転ずるように強いられ、しかもその運動を継続しかつその運動を以前と同じ割合において相互間に伝えることができるようにされるならば、その個体はやはり何ら形相を変ずることなくその本性を保持するであろう。(補助定理六) ↩
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そのほか、このように複合した個体は、全体として運動ないし静止していようとも、あるいはこのないしかの方向に運動していようとも、もしただその各部分が自己の運動を保持してそれを以前と同じように他の部分に伝えてさえいれば、その本性を保持する。(補助定理七) ↩
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もしさらに我々がこうした第二の種類の個体から組織された第三の種類の個体を考えるなら、我々はそうした個体がその形相を少しも変えることなしに他の多くの仕方で動かされうることを見いだすであろう。そしてもし我々がこのようにして無限に先へ進むなら、我々は、全自然が一つの個体であってその部分すなわちすべての物体が全体としての個体には何の変化もきたすことなしに無限に多くの仕方で変化することを容易に理解するであろう。(補助定理七備考) ↩
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一 人間身体は、本性を異にするきわめて多くの個体――そのおのおのがまたきわめて複雑な組織の――から組織されている。
二 人間身体を組織する個体のうち、あるものは流動的であり、あるものは軟かく、最後にあるものは硬い。
三 人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体からきわめて多様の仕方で刺激される。
四 人間身体は自らを維持するためにきわめて多くの他の物体を要し、これらの物体からいわば絶えず更生される。
五 人間身体の流動的な部分が他の軟かい部分にしばしば突き当たるように外部の物体から決定されるならば、その流動的な部分は軟かい部分の表面を変化させ、そして突き当たる運動の源である外部の物体の痕跡のごときものをその軟かい部分に刻印する。
六 人間身体は外部の物体をきわめて多くの仕方で動かし、かつこれにきわめて多くの仕方で影響することができる。(要請) ↩