行為する力(agendi potentia)
行為する力(agendi potentia)という言葉が最初に出てくるのは、神への言及においてであり、その際には考える力(cogitandi potentia)とセットで出てくる。
この帰結として、神の考える力は神の実際の行為する力に等しいことになる(第二部定理七系)
第一部 - 民衆の批判(定理一六~三六)でみたように、スピノザは神の力という言葉を民衆にあわせて定義する。民衆は、神がその知性の内に無数の世界の観念を持っており、そこから一つを選択して現実世界を作り出すと考える。これにしたがえば、知性の内で無数の世界の観念を考え出す際に用いるのが考える力であり、それを現実化する際に用いるのが行為する力だということになるわけである。
スピノザは、行為する力と考える力という言葉を人間についても用いるが、これは、神からの類推によるわけだ。したがって、考える力は「自身の内で様々な観念をつくりだす力」、行為する力は「内にあるものを現実化する力」という意味合いになる。ここではagendi potentiaを「行為する力」と訳したが、他には、「生みだす力」「創造する力」「現実化する力」「働きかける力」等の訳語がありうるだろう。よく使われる「活動能力」「活動力」という訳語は、思考する力との対比が明確でなく、何を指すかも不明瞭であるため、あまり適切ではない。