最高の満足に至る方法
次に考察するのが、最高の満足(acquiescentia)に至る方法だ。ここに至るには、物を第三種の認識において認識すればいい、というのがスピノザの主張である。
まずは、第三種の認識が意味することを見てみよう。スピノザは、認識を以下の三種に分けている。
- 第一種:表象
- 第二種:共通概念
- 第三種:直観知
第一種の認識は「偶然的な接触で形成される普遍概念」による認識を、第二種の認識は「一致点・相違点・反対点を比較することによって形成される普遍概念」による認識を意味する1。
第三種の認識2について理解するには、やはり神の認識過程を思い出す必要がある。我々が普段囲まれ、意識するのは犬、猫、人間、植物、椅子、机といった個々の様態だ。この個々の様態が延長、形、運動といった属性を持つことを認識することにより、我々は神という実体の認識に至るのである。この個々の様態における属性の認識が、第三種の認識である。第二種の認識と異なり、ここでは複数の観念を比較する過程は不要である。例えば、椅子が延長を持つことは直観的に認識できるわけだ。
ではなぜ、物を第三種の認識において認識すれば、最高の満足に至ることができるのだろうか。それは、この認識によって神の認識に到達できるからである。喜びとは完全性への移行であり3、この点において、神の認識以上のものはない4 5。しかもその喜びは、自己および自己の徳の観念が伴うだけ大きなものとなる6。「喜びと完全性への移行の関係性」「神の認識と完全性への移行の関係性」「自己および自己の徳の観念が伴う喜びの強さ」については既に考察済みなので、曖昧な人はおさらいしてほしい。
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第二部 - 三種の認識を参照 ↩
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これら二種の認識のほかに、私があとで示すだろうように、第三種のものがある。我々はこれを直観知と呼ぶであろう。そしてこの種の認識は神のいくつかの属性の形相的本質の妥当な観念から事物の本質の妥当な認識へ進むものである。(第二部定理四〇備考二) ↩
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喜びとは人間がより小なる完全性からより大なる完全性へ移行することである。(第三部諸感情の定義二) ↩
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精神の最高の善は神の認識であり、また精神の最高の徳は神を認識することである。(第四部定理二八) ↩
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第四部 - 個々の感情の評価についても参照のこと ↩